どこのじいじーも、孫は可愛い。私にも男女各1の可愛い孫がいます。諸般の事情でこの1年ぐらい、会うことが無く、折に触れて「達者かの」と思うことが度々ありました。孫に関してはかみさんと言い争うことも無く、「子はかすがい」と言いますがさらに「孫は接着剤」。アメリカナイズされ、昭和のような2世帯3世帯住宅は、田舎に行っても見かけなくなりました。孫の数も減って、2人いれば標準世帯と言われそうです。少子化が、やがて少孫化していきます。
下の子が長男で、指折り3本を出します。3歳で、年末には4歳です。抱き上げると随分重くなりました。一生懸命喋ってくれますが、全部は分かりません。相づちを合わせていても、まだ怒る年ではありません。じいじ―は、もっぱら褒め役です。「すごい出来るね」と言って手をたたきます。彼は得意になって、さらに賞賛を求めて頑張ります。
まだオシメをしていますが、一段と逞しくなりました。私から息子、そして孫へと血がつながっていきます。日常では感じること無い因縁を、こんな時にふと感じます。数は読めるようになり、姉と『かくれんぼ―』をしても30くらいは数えていました。特別の才能は求めませんが、普通に大きくなって貰いたいものです。
姉の長女は、つい最近6歳の誕生日を迎えました。『なぞなぞ集』を郵送したのですが、礼状を手渡しで持って来てくれました。本人もこれが大事だと思ってか、顔を見るなり「手紙」と言って渡してくれました。その場で開封して読んで見ると、誕生日プレゼントの礼が書かれていました。私も手紙を4枚書いて、意識してひらがなで書いたのですが、一部漢字があったようで「ママが読んでくれた」と。まずいな署名もかなでなければ、漢字アレルギーが働いてしまう。
長女はさらに重く、「だっこして」と言われてもそうたびたびは出来ない。私のトイレには、長女のみならず長男もついてくるようになった。幼稚園で覚えるのだろうか、「うんこ」がたびたび出てくる。この年頃の流行語だろう。来春ぴかぴかの1年生、ランドセルは既に買ったらしい。請求書は来た、じいじ―の役があってうれしい。食は逞しくなった。日頃の成果か、「うに・イクラ・マグロ・貝柱」等、機関銃連発のように出てくる。そうそうイカも、忘れてはいけない。
じいじ―との遊びは先のかくれんぼ―と、野外の花火。定番だが、あまり盛り上がらなかった。風呂から出たら「じいじー拭いてよ」と言わんばかりに裸で出てくる。彼の風呂上がりは、バスタオルにくるめて移動し、床に寝かせてまず天花粉を塗って急ぎおむつをさせていた。おむつは基本的に変わらないが、長じて親の方に余裕が出てきた。やはり成長している。ありがたい、感謝。
二人を見ていると喧嘩もするが、仲も良い。会話はまだ十分でないのだが、阿吽の呼吸を感じる。姉弟は良いモノだ、私にも一人妹がいるが70年近く付近で暮らしている。互いに子を育て、孫に遊んで貰っている。「人生が二度あれば」陽水が歌っているが、「父は今年64、この頃やっと余裕が出来た」。私は人生が2度あるとは思って無くて、また欲しいとも思わない。今が楽しいし、この先少しだけ役に立ちたい。さあ孫の面倒を見に行くか。