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香川用水通水50周年記念式典開催
世間では、2024パリ五輪での日本人選手の活躍が報道され、100年前の前回パリ五輪の時代はどうだったかと思いを巡らせます。当時の報道は2~3日遅れて、メダルどころか入賞すらなかった五輪だと想像しますが、それでも日本人が世界の強豪国選手に伍して戦う姿に、国民は今と同じように歓喜したと思います。前年は、関東大震災が発生し、復興は道半ば、そんなときの五輪だったと思います。

パリ五輪はマスコミ報道に委ねるとして、今日の小欄は、かねてから私が題材として書いている『香川用水』に関するネタであります。昨今は東北までもが豪雨という『水問題』で苦しんでいますが、過去のそれは西日本地方の特許のように、台風・豪雨・渇水と充足不足を問わず、西日本地方の出来事でした。特に香川県は日本一小さい県で高い山もなく、おまけに降雨が極端に少なく、水不足に苦しんだ長い歴史があります。ため池が多いのも、その現れであります。

標題の50周年は、1974(昭和49)年5月30日の『香川用水上水道の通水開始』から数えて50年だと思います。総工費は、3200億円(内県負担1154億円)という当時の金額として大枚をはたいて完成させました。ちなみにこの年の香川県民所得が、初めて100万円の大台突破と報じられています。

これには布石がありまして、前年の昭和48年7月に当時『高松砂漠』と呼ばれた大渇水が発生し、断水63日を記録し、高松まつりが中止となりました。私も『明大連』として総おどりに参加予定で、踊りの練習にも参加し、この頃の世相をよく覚えています。暑い時期の渇水は、辛いモノがありました。せめて水があれば、生活に元気がでます。

またこの昭和48年11月には、昭和40年着工の早明浦ダム(高知県)が8年の工事で完成し、香川用水の全貌が見えるようになってきていました。だからこの香川用水上水道の通水開始は、県民の悲願だと言えたと思います。蛇足ですが、昭和49年は10月に『長嶋茂雄』氏引退し、「わが巨人軍は永久に不滅です」の名台詞を残しています。あの時代の頃の話しであります。

翌昭和50年3月、徳島県の池田ダムが完成し、香川用水の都市用水(上水道)と農業用水の本格通水が始まっています。都市用水と農業用水の分離(工業用もあります)がどうなっているのか疑問は私の中に残りますが、これで以て6月『香川用水全長106キロ』に及ぶ本格給水が始まり今日に至っています。この完成で水不足はまず起きないと考えられていたのですが、高松も都市化が進み、再び『高松砂漠』がありながら今では中間貯水施設『宝山湖』などを作りながら、一方では『節水』の徹底と管理技術の向上などで、今日の早明浦ダムの貯水率は96.4%で安定して県民は安心しております。

何度も書きますが香川用水は香川県独自のモノと思われがちですが、高知県の早明浦ダムに貯めた水を、徳島県の池田ダムを経由して香川県の財田町の施設で受けて、香川県内津々浦々まで供給されています。一番長い旅は、100キロを越える旅をして、県民の生活水として恵みを貰っています。高知県の皆様、徳島県の皆様、本当にありがとうございます。感謝!


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| 社長日記 | 11:36 AM | comments (0) | trackback (0) |

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