『四国研修センター』外でのBBQ交流会(大会ではなかった)は、恐らく初めてだと思います。5名の研修生と実習生1名の6名と、オイスカ職員らをホームタウンの仏生山の森レストラン五十八に迎え、それを支える48名の会員・非会員、また老若男女の別なくまだ熱いこの地へ来てくれています。何人かは狙い通り、電車で来てくれていました。研修生も電車で来ていました。指導員は、電車代が高いとぼやいています。
オイスカ四国支部高松推進協議会は、先月ここのエアコンの効いた館内で総会をして、今日は野外でバーベーキュです。オイスカ四国研修センターは、綾川町にあり、ここから電車で数駅です。高松推進協議会の市内番町の拠点から、綾川町まで南下しています。中間地点のこの仏生山町あたりに新たなサブセンター的拠点を作りたいという思惑もあります。
オイスカの外国人研修生は、『四国研修センター』の場合は会員の会費(個人2万円)の中から半分の1万円が研修生用に当てられています。国からの支援がなくなって久しいオイスカは、半分が本部へ上納されています。その原資で、『四国研修センター』が維持運営されています。オイスカは貧乏です。会員100名(100万円)で、1名の研修生の渡航費から生活費活動費までのすべてを賄っています。100名の会員増で、追加の一人が増員できます。
従って一年中、『募金』に明け暮れています。会費や募金は、税務処理上の寄付金控除が受けられるようになっています。私は日本が先の大戦で迷惑をかけたアジア太平洋地域に、戦後いち早く稲作を現地指導した中野與之助初代総裁の考えや行動に心酔しております。小欄でも紹介しましたが、私のエネルギーはパプアニューギニア(PNG)ラバウルエコテック研修センター三十周年記念式典での数日間の体験からきています。
人食い人種がまだいる(と聞きましたが嘘でしょう)ラバウル奥地でも、OISCAのロゴマークの入った帽子やTシャツは絶対安全。彼らの先祖は、オイスカに命を救われたと考えています。記念式典へも仕事を休んで30ほどに種族が応援に来てくれていました。聞くと移動燃料代・食事代は全部自腹で、勿論出演料無料で日頃の御礼だと言っていました。勿論通訳を介しての会話です。
今晩の外国人研修生は、いつも以上にはじけていました。豚肉が食べられないインドネシアからのアアム(女性)らは、みんなから外れて別の七輪で食べていました。オイスカは日常で、ハラル料理に対応しております。野外でのことで、企画が大外れもありましたが研修生のお国ダンス、三好東曜&アフロタイコ一夜チ-ムが盛り上げてくれました。近所に住まいする人たちも何の騒ぎか、見に来ていました。
多くのビールワイン冷酒、はたまた美味しいスイカ、肉の間で負けていなかった『焼きイカ』の食材も頂きました。そうそう研修生では、フィジーのトウイさん、メキシコのナンシーさんの身のこなしが、特に体が動かなくなっている私などの刺激になりました。引っ張り出されて、大きな汗をかきました。みんなありがとう、初回はまずまずの盛り上がりで終えることができました。次は10月19~20日の、仏生山大名行列まつりでの『オイスカエスニックカレー』の販売です。
ホームタウンにオイスカの善根が広がれば、殿様もお喜びのことかと拝察申し上げ候。多くの皆様、ありがとうございました。