ドジャース対パドレスの開幕試合がソウルの高尺スカイドームで行われ、ドジャースの大谷翔平選手がパドレス相手に2安打1打点1盗塁と躍動、ドジャース5-2の勝利に貢献した。やはり大谷翔平選手が移籍したドジャース打線は、終盤8回一気に畳みかけ勝利をもぎ取った。データーは語る。パドレスの先発ダルビッシュ有に、勝敗はつかなかったが好投した。
日本人対決や韓国開催、大谷翔平選手の結婚帯同など話題に事欠かない対戦に、結果以上の盛り上がりをみせ、韓国開催は興行的にも大成功。大谷翔平選手のみならず、韓国の選手にも大声援が送られていた。開幕戦のスケジュールは、大谷移籍の前から決まっていたと思うのですが、移籍効果絶大。スポンサーJTBも、日本からの観客動員で少しは潤ったことでしょう。来年は日本開催があるかな。
試合経過とか結果とかは新聞TV報道をご覧頂くとして、私は日本での『野球熱』について考えて見たい。そもそもわれわれ世代は、昭和21年~24年生まれの『団塊の世代』の次ぎ世代で、『巨人・大鵬・卵焼き』世代とも呼ばれるほど、ある程度世代全員が同じ方向に歩んでいた時代です。象徴的なことは、学校給食のコッペパンと脱脂粉乳のミルクと、やはり野球だろう。
今では野球よりサッカーが人気競技かもしれませんが、あの頃は何と言っても『野球』でした。プロ野球は巨人の長嶋茂雄氏や王貞治氏。阪神は村山実投手が相手で、今も語り継がれる1959(昭和34)年6月25日巨人対阪神の天覧試合で、昭和天皇と香淳皇后が貴賓席に姿を見せた夜、ファインプレーが相次ぎ、ホームランも5本飛び交い、手に汗握る好ゲームとなりました。
試合の主役は、巨人入団2年目の長嶋茂雄でした。試合は4-4で迎えた9回裏、先頭打者として長嶋がバッターボックスに入りマウンドに立ったのは、阪神のエースである村山実でした。2ボール2ストライクの後、長嶋がとらえた球が左翼スタンドのポール際に飛び込み、サヨナラソロホームランを放ちました。村山投手は、あれはファールだったと言い続けたと言われていますが、いずれにしても『野球』が主役であった時代の今に続く語りぐさです。
昨年大谷翔平選手が、日本全国の小学校に3個のグローブを贈りました。私もいまだに記憶にあるのですが、野球道具のうちグローブは特別です。小学校3年生の頃、私も父親からグローブを買ってもらいました。抱いて寝たのを思いだします。その位グローブは格別です。それを、特別の大谷翔平選手からプレゼントされたのです。大谷翔平選手のお陰で、少年野球は復活します。
選抜大会も始まりました。県大会も始っています。日経平均4万円超よりも、大谷翔平選手の活躍、『野球熱』が日本経済を活性化します。