昨年(令和4年)春の叙勲で受章したものの、新型コロナウィルスの感染拡大に伴い皇居参内はかなわず、諦めていたのですが、短時間の皇居見学が本日出来ました。9時に霞ヶ関中央合同庁舎第2号館に集合し、バスで皇居へ行く行程です。ところが2号館へ到着したところで、守衛役の警備員から「外に各県の県職員が待っているから、一緒に入るように」との指示がありました。
要領が分からない私は言われるままに外で、香川県の担当者を待ちました。30分間、待てど暮らせど県庁さんは来ない。事前にも、迎えがあるとも聞いていません。しびれを切らし、「トイレを使いたいので」と、彼が検温を強いるのに応じ中に入りました。集合場所と記載されている1階の共用会議室を探します。そこで私を待っていた国交省職員と出くわしました。
「今からバスへ向かいます」の言葉通り、国土交通省①のプラカードが動いています。そこの終端に加わり、最後にバスに乗りました。結果一番良い席でした。降りるのも一番、皇居に入るのも先頭になりました。気になっていた服装ですが、モーニング姿も略礼服も、私のようなスーツ姿もありました。この国土交通省①の総勢は27人、もう1台②号車も午後からのグループも、概ね30人を目安としているようです。
宮殿見学は坂下門から入り『北車寄』で下車し、『長和殿』の各間を北から順に見て回ります。時間調整もあり、長和殿に入るまでに30分もかかりました。5つ部屋がありますが、一番大きな『春秋の間』の前が東庭に面しており、天皇陛下ら皇室一家が一般参賀に応じるベランダがあります。テレビで放映されているあの風景です。
皇居内の写真撮影は厳禁、でも東庭を通る外国人訪日客は写真撮り放題、国民性ですかね。今月は天皇陛下の誕生日があり、当日の一般参賀が予定されています。それでもこのように、中を見る機会はそうそうないと思います。遠目に正殿も見えました。実に、ありがたいことであります。
最後に南溜まりで記念撮影。この申込は、現金書留で各自が行う。サイズも自由、支払も各自バラバラ。帰りのバスは、国土交通省の前、地下鉄『霞ヶ浦』付近で停止し、解散となりました。
ホテルから中央合同庁舎第2号館へ徒歩で40分、毎朝の機械ウオーキングにかわり、散歩代わりの40分でした。緊張も手伝って、正直疲れました。昼食後には仮眠です。夜は学生時代の友が、プチ祝賀会を中野でやってくれました。中野渡ゼミから三浦慶明と遠藤素弘、1年8組から卒業まで一緒だった北原幸則(高知・四万十市出身)も駆けつけてくれました。幹事の遠藤素弘さんと『マルイ』で、共に働いた麻雀仲間。
8組のリーダーは、東京出身の百田省平だったと思います。百田省平が、西武デパートの食品販売のアルバイトへ連れて行ってくれました。知多半島で瓦づくりの石原順二に雇用された栗川史雄は、彼岸へ渡って今日の祝賀会にも参加できず。中野渡ゼミでも福永晴雄が、向こうへ行っています。北原はそのあたりの訃報に詳しいのですが、私はいい加減です。死んでしまったのは仕方ない。生きてこうして会えるのが、『優』の数では負けましたが、何よりの勝ち組です。
中野渡ゼミのリーダーは、湯川正ですが、彼も千葉から出てこられません。腰に爆弾を抱えていて、残念。被災者の宮本嘉二もいまだ現役。70歳を過ぎて勝ち組は、健康・時間・多少のお金(88歳の米寿を迎えたL塩田博志の言葉)であることは、間違いないことです。楽しい一日でした。