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52年ぶりベスト4への壁は高くて厚かった
北陸・東北・北海道地方が大雨注意報発令なのに対して、梅雨明け後は勿論梅雨の間もほとんど雨が降らなかった四国・高松と甲子園あたり。皮肉なことに17日午後から降りだし、大会12日目18日は高松でも早朝から大雨です。試合開始を疑いながらも、バス12台で淡路パーキングエリアまでやってきました。本日の第2試合、高松商対近江戦が予定されています。

バスは予定通りJR高松駅を午前5時に出発、約90分かけてここ淡路パーキングエリアまでやって来ました。当初1時間後の7:30甲子園へ向けて出発の予定でしたが、直前になって出発が『未定』になりました。第1試合の開始が遅れています。甲子園球場は晴天が続き、グランドコンデションは良好で、少々の雨は吸収します。さてどうなることか。

大会第12日目、準々決勝戦の第2試合、高松商は近江と対戦しました。結果は6-7の僅差ですが近江に惜敗し、52年ぶりのベスト4入りが叶いませんでした。いみじくも同じベスト4入り、今日も一塁側の応援席で試合を観ていましたが、52年前の昭和45年8月も丁度このあたりで、ベスト4入りをかけたPL戦を観ていました。その時の光景を今でもハッキリと覚えています。

当時の第1試合は高松商16-0静岡高、第2試合は高松商1-0広島商、第3試合準々決勝が高松商7-0熊谷商、そして準決勝戦が高松商5-16PLでした。この時の4番ピッチャー大北敏博(元巨人軍)が、細川安雄(元阪急)捕手とコンビを組んで、頑張ってくれました。勿論ベンチ入りメンバー全員で、勝ち上がっていきました。私も在阪の親戚宅に居候しながら、20日間ぐらい甲子園に通いました。

その頃の私は大学受験を控える高校3年生で、担任の大西正純先生からは「甲子園へいっとったら大学へは入れん」と言われていました。生意気盛りの私は、「受験勉強は浪人でも出来る。現役応援は今しか出来ん」と言い訳し、身勝手を貫きました。不思議な事に9月の全国模試の結果も良くて、希望校へも入学出来ました。野球部員の頑張りが、私のエネルギーになりました。

高松商にとっては半世紀の高い厚い壁を踏破することが出来なかったわけですが、後輩は実によくやりました。あの頃は先に紹介した3番キャッチー細川安雄(元阪急)と4番ピッチャー大北敏博(元巨人軍)の2枚看板でしたが、打力は浅野翔吾選手が上でしょう。171センチの身長であの飛距離はまさに令和の怪物です。4番の本田倫太郎選手と6番の林息吹選手を新型コロナウィルス感染症で欠き、飛車格落ちの戦いでしたが、高松商はよくやってくれました。

願わくばこの後予定されている国体で、何とかベスト4入りしてもらいたいものだ。大北・細川を越える浅野翔吾選手の記録と記憶を、最後の国体に託します。そのためには、ナイン全員一丸となってベスト4の壁を越えてもらいたい。君たちなら、きっと出来る。まずは暫く休息して下さい。お疲れ様でした。


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| 社長日記 | 09:29 AM | comments (0) | trackback (0) |

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