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第39回仏生山門前まつり
こちらも3年ぶりで、賑わいが戻ってきました。3年間の鬱積が爆発したように、これまでにない人また人。今年は主催の『門前まつり実行委員会』の構成が、これまでまつりを支えてきた仏生山商工振興会(武下重美会長)から、町内各種団体の若者を中心とした新しい組織へとバトンタッチしています。委員長は仏生山小学校PTA大山美穂会長で、多くのスポーツ少年団父母の会が応援しています。

多くのスポーツ少年団が、活動資金難に苦しんでいます。ここでのバザー収益金が、遠征費などに充てられます。これまでのまつりでもバザー活動はしていましたが、その前後ろで、本部設営なども彼らの力で例年以上手早く完了しました。私など最初の頃を知る人間から見れば、まさに世代交代、これであれば来年も、再来年も間違いなくやれそうです。

仏生山町は、徳川松平家菩提寺の法然寺を中心とした門前町として発展しました。平木享県議(仏生山町観光協会会長)の来賓挨拶にも、この下りがありました。殿は産業も盛んにし、特に素麺処として街の発展を創り上げました。それが戦前戦後の復興にも、大きく寄与しています。私の祖父は、昭和9年の産業商業年鑑に『仏生山町四四』で素麺作り業者として掲載されています。国会図書館に、それはありました。

今では法然寺境内の『竜雲うどん』として、美味いうどんを提供してくれています。今日のまつり会場でも、椅子に座っている人(後期高齢者)から母サチ子の名前が出てきました。熊本県から嫁し、37歳で寡婦となりながら、86歳の死まで仏生山町で暮らしたのですが、60歳から10年間竜雲学園の製麺に協力し、その後は同舜虹苑で息をひきとりました。わが実母ながら、素晴らしい人生だったと思います。

仏生山町ではこの夏祭りが終われば、すぐに高松秋のまつり仏生山大名行列の準備となります。今年は3年ぶりに往年の賑わいが戻ってくると思います。私も宅建協会の『宅地建物取引士』試験監督から解放されて、今年は手伝えると考えています。ここのバザーでは、オイスカの『アジアカレー』を提供したいと願っています。

また今日は、77年目の広島原爆投下の日です。戦争になれば、まつりどころではありませんが、戦争は誰のためにするのでしょうか。少なくても国民、庶民のためではありません。為政者の意地の張り合い、私憤が招く大きな犠牲が戦争。どんなに腹が立っても、戦争は手段の一つからなくすれば、平和は無理でも日常は取り戻せると思います。



森山亮(あきら・仏生山地区コミュニティ協議会副会長&仏生山地区連合自治会長)氏



あの土地は自転車置き場として大活躍

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| 社長日記 | 09:36 AM | comments (0) | trackback (0) |

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