今春4月29日に旭日双光章を拝受した私は、初めてのことでどうしたモノか右往左往していますが、店頭は胡蝶蘭が日一日と増えています。祝電も数多く頂戴し、ありがたいことと大変喜んでいます。叙勲の解説書の中に、『お世話になった恩師への挨拶』という項があり、思いつくまま存命の四人の恩師の元へ挨拶へ参りました。
最初に訪問したのは高松商でお世話になった、英語科のZ先生。数年前に退職の時間つぶしと自ら笑いながら『志度ライオンズクラブ』に在籍されていて、キャビネット公式行事にクラブ代表として参加されていました。三木高校(当時新設)の校長として辣腕を振るった公務員が、ライオンとして地域貢献するというのは、素晴らしいことだと感心しました。残念ながら今は退会されています。
あんなに頭脳明晰だった先生が、認知症のようです。奥様は出来の悪い私のことも「うどん屋さんから」と出自まで覚えておられて、反面先生の足りないところを補っていらっしゃいます。そんな先生ですが、服装は自宅にいながらなかなかのお洒落でした。今年82歳というので、失礼ながら頭と身体のバランスが大切だと思いながら次へ急ぎます。
高松市内へ戻って、市内伏石町の畠山敏明先生宅へお伺いしました。畠山先生は76歳まで、高松予備校で化学を教えていました。数理科の先生は数少なく、村上良一理事長に大変可愛がられたようです。ある時生徒から「年寄りに見える」と言われて、やめたそうです。高松商では化学を担当し、野球部部長も歴任されています。目下の趣味は『盆栽』で、40年もやっているので彼らに「ゴメン手入れも出来なくなる」と断捨離に入っているそうです。92歳、車の運転は奥様の送り迎え中。
三方目は、龍雲中学校時代の恩師彫刻家・萬木淳一先生です。小欄にもよく登場し、平成乙女の像の作者であります。2018年秋に竣工した乙女像ですが、もうあれから4年が経過したことになります。最近の恩師との付き合いでは、萬木先生が一番親しくして頂いています。萬木先生は美術の先生でしたが、一年生からのクラス担任でした。『会長日記』は、萬木先生の教えの一つから生まれました。
そして最後の大西正純先生、高松商進学科の担任でした。一番近くにいながら足が遠くて、にがてな先生でしたが、私のことは近所にいることから奥様もよくご存じで、「松野さんの所へも訃報ハガキを出した」と言われて、ただ恥じ入るばかりです。大西正純先生は不死身で、一病息災、いろいろの病気と付き合いながらお元気でいるモノと勝手に思い込んでいました。昨年1月逝去となると、存命なら93歳になります。
このほかお亡くなりになった恩師も、太田啓太先生・太田重則両先生など、枚挙にいとまがないのでありますが、恩師訪問は先の四人に総代となってもらい、一応のけじめとさせて頂きます。これからは92歳の畠山敏明先生を目標に、私も更なる精進を重ねて参ります。