日本経済新聞の4月4日(月)社会欄に、標題の記事があり、『取説』の活字が目に飛び込んできた。『取説』とは恐らく『取扱説明書』ではないかと推測する。子どもに対する取扱説明書とは、乱暴な言い方だなと思う反面、何が書いてあるか読みふけった。想像するように、子どもの成長が親の期待に反したモノで、どうしたら良いか分からないという親の叫びが綴られている。
私にも2人の男子がいて既に成人していますが、『取説』の必要性を感じたことはありませんが、それでいて属に言う「親子の会話」はうまく出来ていません。両人とも成人して妻帯し、1人は子どももいますが、世間で言われるジジババの至福の時間には恵まれていません。それでも孫がいない御仁と比べれば、存在すること自体はありがたいことです。もう1人は、子どもがいません。
この記事を読みながら、なんとも言えない行間を感じました。年初のある夕方、関東地方に住む60代の夫婦は、息子(33)の運転する車でたわいもない会話をしながらスーパー銭湯に向かっていた。こんなごく普通の家族の光景が、本当の『日常』になったのはつい最近のことだ。13年間引きこもっていた息子と会話するなんて、かつては考えられなかった。
息子は、小さい頃から口数が少なかった。コミュニケーションが苦手のようで、いつしか学校でもいじめに遭って、中学校はどうにか卒業したが高校は中退する。転機が訪れたのは、2016年だった。約20年間単身赴任で家を留守にしていた父親が、退職を機に帰ってきた。「そろそろ息子の問題に決着をつけないと」と肚をくくった。
息子と話しをすると意外にも、本人から引きこもりの自立を支援するニュースタート事務局(千葉県市川市)の話を持ちかけてきた。初めて、息子も悩み続けていたのだと気づいた。1年後、息子は家を出て寮生活を始めた。19年からはスーパーでバイトをしながら、一人暮らしを始めた。今では調理師の資格を取って、手取りで15万円ほど稼ぐまでになった。父とは3カ月に1度は、一緒に湯につかる仲にも。
もっと根気よく、本人の声に耳を傾けていたら。勇気を出してぶつかり合っていれば。過去を振り返れば、山のような『たられば』が積もる。それでも今は、失敗した経験から生きることしか出来ない。親子で対話を重ね、息子のこれからの人生をできる限り支えたい。やっと、わが子と向き合うための『取説=取扱説明』がわかってきたのだから。何とも、心に染みる文章ではないですか。
内閣府の2019年版『子供・若者白書』によると、引きこもりとは6カ月以上にわたり、趣味の用事や近所のコンビニ以外に自宅から外出しない状態を言う。15~39歳では推計54.1万人で、7年以上続いている人の割合は34%に達した。40~64歳では推計61.3万人、7年以上の割合は46%とさらに増える。支援体制の拡充が、引き続き課題であるようです。
足し算すると115万人、香川県の総人口98万人を超える人が『引きこもり』とは、私の立場からすると『勿体ない』。当事者は長い間葛藤しながら苦しんでいる。何とかならないモノだろうか。