香川県には戦前、都市部5市(高松・丸亀・坂出・善通寺・観音寺)に約20館ほどの常設映画観があり、地域の芝居小屋でも不定期に映画を上映していました。戦後館数は急増し、1957(昭和32)年には100館を超え、県内の9割近くの市町村に映画館が存在しました。そんな歴史を綴った特設展が、香川県立ミュージアムで19日まで開催されているというので、行ってみました。
1897(明治30)年、日本で初めて映画が上映され、もちろん無声映画ですが1903(明治36)年に、日本最初の常設映画館『電気館』が東京浅草に誕生します。香川県でも、明治30年代前半には既存の芝居小屋や劇場で映画が巡回上映され始めますが、映画館はまだ存在していません。1911(明治44)年高松市片原町の古天神(華下(はなした)天満宮)境内にあった芝居小屋『肥梅閣(ひばいかく)』が、常設映画場『世界館』として開館します。
同年、丸亀市の『稲荷座』が活動写真館『世界館』として開館。翌年、高松市片原町の『玉藻座』も芝居小屋から活動写真常設館となりました。また常設映画館として、初めて建設されたのは『緑館』です。1912(大正元)年、高松市東瓦町に開館した緑館は、当時の地方新聞である『香川新報』によると、ハイカラで2階は柱が1本もなく畳席と長いすがあったようです。
実はこの年、高松電気軌道が開通し、出晴(ではれ)駅(現在のコトデン瓦町駅付近)が開業しています。新しい駅の近くに3階建の華やかな映画館が。明治末期の高松市中心部の発展と映画館建設には、深いつながりがありました。それから100余年経過した高松市内には、1軒の常設館が残るのみ(もう無いかもしれない)。映画館は、大型商業施設イオンシネマに聚斂されています。
不易流行は、時代の寵児ですが、終わった頃に次への「イノベーション」がおこらないと、無惨な状態で建物が残るだけです。建物が悪いわけでは決してなく、その中で営まれている商いがお役に立つモノかどうか。役に立つモノなら残れるし、そうでなければ商売が成り立たず建物が朽ち果てて、可哀想です。
折角の機会ですから、他の展示も拝見しました。古代縄文弥生時代からの香川が、創意工夫の上で現在まで展開されています。やはり映像が、解説にはとても有効のようです。ところで香川県ですが、徳川親藩だった故に新政府から冷たくされ、1871(明治4)年11月15日廃藩置県により『第一次香川県』が誕生し、その後明治6年2月20日香川県が名東県(徳島県)に編入され、1875(明治8)年9月5日には『第二次香川県』となり、今度は香川県が愛媛県に編入されました。
テレビコマーシャルで4国は2国だったという台詞がありますが、この時、名東県が高知県に編入になったために、四国は愛媛県と高知県の2つと言われるところです。その後明治21年12月3日に『第三次香川県』が発足し、今に続いています。紆余曲折があった香川県です。そんな過去が、金子正則元知事の丹下健三氏の設計による香川県庁建設につながったと拝察します。『香川県は全国区』これを主張したかったのでは。