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長嶋茂雄氏に野球界初の文化勲章授与
四国新聞の一日一言に、長嶋茂雄氏と高松との関連が綴られていた。1958(昭和33)年は、プロ野球巨人軍で長嶋茂雄さんが鮮烈なデビューを飾った年。その長嶋茂雄さんがプロ入り第1号ホームラン(オープン戦で7本打っている)を放ったのが、高松中央球場でのオープン戦だった。同年3月3日付けの四国新聞で、報道されているという。当時巨人の監督は、高松商出身の水原茂さん。水原茂元監督と三原脩(巨人・西鉄・大洋)監督像は、中央公園にユニフォーム姿で仲良く立っている。

出場選手には川上哲治、広岡達朗と往年の名選手の名前が並ぶ。中央球場(現中央公園)にはファンが押し寄せて、内外野ともぎっしり。地元出身の水原茂元監督と、期待の新人(立教大卒)・長嶋茂雄選手の勇姿が目当てだった。当時は、高度成長期のまっただ中、長嶋茂雄さんの登場は、明るい未来の昭和を実感させた。

長嶋はシーズン入りの4月5日、対国鉄スワローズ戦で、3番サードで先発出場してプロデビュー。国鉄のエース金田正一に4打席連続三振を喫し、そのすべてが渾身のフルスイングによる三振であったことが伝説的に語り継がれている。また長嶋茂雄選手は、大舞台に強く、翌年6月25日、後楽園球場で行われた天覧試合(対阪神戦)では、4対4で迎えた9回裏、先頭打者の長嶋が阪神の二番手、村山実からサヨナラ本塁打を放つ。村山実氏は後年、「あれはファールだ」と言っていたが。

この試合を機に、プロ野球人気が大学野球のそれを上回るようになったとされ、また、長嶋の勝負強さが日本中に知れ渡るようになった。なお、同試合では当時ルーキーであった王貞治も本塁打を打っており、106回あったONアベック本塁打の第1号になった。プロ野球を、『国民的娯楽』に牽引し、軽やかなステップで遊撃手前でつかみ、三塁ゴロにしたシーンもテレビで何回も観た。打席で空振りした際に、ヘルメットが脱げてしまったシーンも多かった。ワクワクドキドキするプレー全てが絵になって、ファンの心を鷲づかみにした。

選手引退試合で、「読売巨人軍は永遠に不滅です」の名台詞を残し、監督としても輝かしい記録を残した。その後脳梗塞を患い、半身麻痺となったがヒハビリの功あって、どうにか歩けるまでに回復。元々言語明瞭意味不明なところはありましたが、言葉も後遺症のせいか、不自由でした。先日の2020年東京パラリンピックの閉会式では、不自由でも王貞治氏と松井秀喜氏と歩いた。内外の多くの障害者に、勇気を与えたと思う。

その長嶋茂雄氏が、今年の文化勲章に選ばれた。野球界からの受賞は初めてで、言われてみればそうだったと頭をかしげる。それでも長嶋茂雄氏が受賞して、今後受賞が続くと思います。奇しくも海の向こうの本場米大リーグで、大谷翔平選手が100年ぶりの二刀流。快刀乱麻の記録と、ミスターベースボールの長嶋茂雄氏の受賞。歴史は、必ず繰り返されるのですね。


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| 社長日記 | 08:46 AM | comments (0) | trackback (0) |

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