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藤澤南岳先生ものがたりby塩江町歴史資料館
地元の偉人として、私の知らない御仁はまだまだ多い。その中の一人、藤澤南岳先生没後100年記念ということで、塩江町歴史資料館から標題の小冊子が刊行されている。四国新聞にこの件が掲載されて、私も電話を入れて出かけて行きました。塩江町歴史資料館は、旧安原小学校跡地利用で、建物の一部がそのまま資料館として使用されています。ただし、第4土曜日限定の開館のようです。



藤澤南岳先生ってどんな人?何をした人?と、よく聞かれます。父藤澤東畡は塩江町で生まれ、九歳くらいまでは塩江に住んでいました。一方藤澤南岳は母の里の引田で生まれ、すぐに父藤澤東畡の住む大坂で暮らしています。そんなわけで、ちょっと馴染みが薄いのですね。しかし一般的には、日本を代表する偉大な儒学者として広く知られていると冊子に書かれています。

昨年の令和2年は、藤澤南岳の没後100年の年でした。藤澤東畡の長男として生まれた南岳は、東畡が大坂で開いた『泊園塾(後に泊園書院という名称となる)』を引き継ぎます。南岳は、漢学者として『泊園書院』で指導に当たり、南岳に学んだ門人は、五千人を超えると言われています。そして、大きな業績は、南岳二十六歳の時、鳥羽伏見の戦いで朝敵とされた高松藩を救ったことです。

1868(慶応4)年鳥羽伏見の戦いは、戊辰(ぼしん)戦争の初戦となった戦いであります。戦いは京都南郊の上鳥羽(京都市南区)、下鳥羽、竹田、伏見(京都市伏見区)、橋本(京都府八幡市)で行われた。幕末の慶応2年(1866年)、幕府は長州藩に対し第二次長州征討を行うも、敗北を重ねて失敗に終わった。この長州征討の失敗は、幕藩体制の限界と弱体化を白日のもとに晒し、幕府の威信を大きく低下させたと言われている。

1868年正月6日、大坂城にいた慶喜は、緒戦での敗退の報とともに、薩長軍が錦の御旗を掲げた事を知った。これにより「徳川家と薩摩藩の私戦」という慶喜が描いていた構図は崩れた。開戦に積極的でなかったといわれる慶喜は自身が朝敵とされる事を恐れ、表では旧幕府軍へ大坂城での徹底抗戦を説いたが、裏ではその夜僅かな側近と老中・板倉勝静、老中・酒井忠惇、会津藩主・松平容保、桑名藩主・松平定敬と共に密かに城を脱し、大坂湾に停泊中の幕府軍艦開陽丸で江戸に退却した。

総大将が逃亡したことにより旧幕府軍は継戦意欲を失い、大坂を放棄して各自江戸や自領等へ帰還した。徳川慶喜の東下りで、鳥羽伏見の戦い、戊辰戦争の影響も限定的で終わったと歴史家は分析する。大きな目で見れば、徳川慶喜の英断で明治維新が大量の流血もなく粛々と進んだという説もあるほど、私は最大の功労者が徳川慶喜だと思うのです。

話しは藤澤南岳まで戻しますが、幕府側についた高松藩は、官軍に発砲し朝敵となる。恒太郎(南岳の通称)は高松へ帰り、死を決して藩主へ力説、高松藩の方針を勤皇へと転換させる。その後藩主松平頼總が、その功績を賞して南岳の号を賜う。明治2年南岳、藩政に参与し、藩校『講道館』の督学となる。1870(明治3)年南岳、藩主松平頼總の命により、高松の私宅(香川郡中ノ村天神前・現中野天満神社近く)に泊園塾を開く。

南岳に関する記載はまだまだ続くのですが、紙幅の関係からこのあたりで切り上げたい。この数日後、塩江町歴史資料館の藤澤保館長から、丁寧な礼状を頂戴した。恐縮でございます。資料館を後にし、『谷岡食堂』へ行ってみた。何と言ってもこのあたりの名店で、何代目になるのか今日も隆盛を極めている。新型コロナウィルス禍の影響で酒類の提供は出来ないと張り紙があるが、昼食を求める人が列をなしている。



私も随分久しぶりで、建て替え後初めてではないだろうか。中華そばといなり寿司を注文したが、いなりは持ち帰った。昔懐かしい『金時豆』が、約束事として入っている。一つは私もその場で食べた。大きいのが特徴でもあります。塩江町にはもう一つ、『いこい』食堂も名店であります。

資料館には、料亭旅館『花屋』の写真もありました。機会を見いだし、『ガソリンカー物語』は日をあらためて紹介します。わが街仏生山町と塩江町を結ぶ軌道車が、戦前には走っていたのです。当時の『塩江温泉鉄道』に勤務されていた高木秀雄(弊社初期の頃のオーナー様の一人)氏が、私が行くとお茶を出して下さり、当時の話しを蕩蕩として下さいました。

資料の中に昭和乙女の像発見

私の中では『沖縄』と『塩江』の二つが、『魂の停車場』のような気がしています。スケール感は全く違うのですが、私のこの前の魂は、塩江に暮らし、その前は沖縄にいたのかも知れません。肉体に付随している意識は本能、感情・感覚、理性。魂(真我)は肉体に付随していない。だから人間が現世に生まれてくるとき、真我のままではなく魂として出てくる。

その魂とは、真我の上にいろんなことをした自分自身の意識が重なったもの。肉体は死に絶えるのですが、魂だけは抜け出して、次の世代の若者の肉体を借りて生まれ変わると考えられています。あゝついに松野誠寛も新型コロナウィルスの感染拡大に伴い、思考停止か。ガラにもないことを、書いてしまいました。



| http://nobuchin.0011.co.jp/index.php?e=5360 |
| 社長日記 | 09:39 AM | comments (0) | trackback (0) |

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