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自分の品格by上智大学名誉教授渡部昇一
氏は松下幸之助翁との生前の関係があって、江口副社長(当時)の提案を受けて、PHPから『日本人の品格』という本を出した。2007年7月19日のことだ。その前に『国家の品格』(こっかのひんかく)は、新潮新書から2005年(平成17年)11月20日に出版された、藤原正彦の著書である。

その後2006(平成18)年6月1日、同じタイトルで岬龍一郎氏が、新渡戸稲造の『武士道』に学ぶ『日本人の品格』を上梓している。このように『品格』シリーズは、燎原の焔のように広がった。そしてここであらためて、前著の国単位からさらに個人に焦点を当て『自分の品格』と題してこのテーマを取り上げたのも、国も個人ももう一度『本来のあるべき姿』に立ち返らなければ必ずや取り返しのつかないことになると、渡部昇一氏が危惧するからである。

どんな仕事、職業であれ、一流の域に達した『品格ある人』に共通しているのは、少々困難であっても、簡単には投げ出さないことである。一見難しそうな目標を持っても実はそこへの到達はそれほど困難というわけではなく、逆に簡単そうな道もらくらく行けるわけではないということだ。どっちみち苦労はするのであるから、ならば高い目標を持ったほうが得だというわけである。

よく言われることだが、その道で『一流』になっている人は、必ずその人なりの『品格』や風格が顔や背中に滲み出ているモノだ。また、そういう人は、人から熱く信頼され、もり立てられ、人間的にも魅力が増し、更に良い仕事をしている。そのような人に共通していることが、一つある。それは自分の手に負えそうもない壁にぶつかっても、決してあきらめないことである。

経験から言っても、今は難しくてすぐ実現できなくても、「いつか必ず自分には出来る」と、「やるための理由手段」を絶えず求めて努力する人には、不思議な事に天の一角から『助けのロープ』が降りてくるモノである。この本をヒントに『自分の品格』を高め、『天からのロープ』を是非味方につけてほしいと著者が訴えかけている。

渡部昇一氏は、「できない(やらない)理由を探すことなく、志を保ち、自分で自分を尊敬できる人間になれ」と言いたいとして、この『自分の品格』を上梓したと書いている。『渡部昇一』と言えば、櫻井よしこさんと双璧をなす『保守系の論客』。もっと言えば、右翼かな。しかし私は正論だと思っています。すると私も、右翼ですな。

決して商売上手というわけではなかったろうが、明治時代初期の商業は、日本における株式会社の始まりとされている亀山社中を作ったのが坂本龍馬であることを見ても、武士が商業に携わっていたお陰で、イギリスは日本を品格のある国と評した。それ故明治35年1月30日、小林寿太郎外相ら主導の日英同盟が締結された。

他の国とは平等の条約など絶対に結ばなかったイギリスが、日本とだけは平等の軍事同盟を結んだのだ。これは、いかに当時の日本に品格があったかを物語っていると言える。当時のイギリスから見れば、東洋人はすべからく軽蔑すべきモノだった。1886(明治19)年のイギリスは、ビルマの国王を連れ去り、王女を下っ端のインド兵に与えている。

久しぶりにこの手の本を読んだのだが、いろいろ史実に基づく記載がされており、大変興味深い一冊であります。『べき論』的なところもありますが、先に書いたように歴史的展開が面白い。もう一つ、私も知っていた歴史に続きがあった。『時代は続く歴史は続く』とよく言われるが、高橋是清の存在その功罪に興味を奪われた。

高橋是清の業績の一つは、日銀副総裁の時に日露戦争の戦費の調達に成功したことだ。彼は再三再四欧米へ出かけ、軍事費を賄うための外債を募集した。当時のアメリカは、他国の公債を買う段階ではなかった。アメリカを見切った是清は、ロンドンで苦労をするが非常なる幸運に恵まれて、一回目の起債に成功する。戦費として、約1千万ポンドの金を調達する必要があった。

そのうち約五百万ポンドは、イギリスの銀行家たちが貸してくれることになった。しかし残りの五百万ポンドについては、全く当てがなかった。そんなとき、友人の招待で出席したパーティーで偶然知り合った、ニューヨークのクーン・ロエブ銀行の代表『ヤコブ・シフ』が翌日、残りの5百万ポンドの公債を引き受けてくれると連絡してきた。

『ヤコブ・シフ』はユダヤ人で、当時在米ユダヤ人会長をしていた。十九世紀後半、ロシアはずっとユダヤ人を迫害するようになっていた。シフは、そのことを非常に憂慮していた。だから、そのようなロシアと戦ってくれるのなら、ということでポンとカネを貸してくれることになった。これらのお陰もあって、日本はロシアに辛勝した。ちなみに、ヤコブ・シフは、明治天皇から『勲一等旭日大綬章』を贈られています。ここまでの話しは、私も過去に聞いたことがありました。

その続きだが、ユダヤ人の投資銀行『クーン・ロエブ銀行』は、日本が太平洋戦争に突入する前の昭和15年、人を介して再び日本に接触してきた。昭和15年と言えば、日本がドイツやイタリアといわゆる日独伊三国軍事同盟を結んだ年。この年、クーン・ロエブ銀行の紹介状を持った二人の神父が日本を訪ねてきた。

クーン・ロエブ銀行は、先のロシアと同じようにユダヤ人を迫害するドイツと手を切り、ユダヤ人を助けてくれたら世界の石油資本を動かし、ユダヤ資本系の石油を日本にまわそう。石油さえ手に入れば、日本もドイツと共に戦争することがないではないか。そんな思惑が、ユダヤ人のクーン・ロエブ銀行にはあったのではないか。歴史に『もしも』は禁句だが、あまりにもこのあたりの下りは恐ろしい。

残念ながら、このユダヤからの折角の申し出を理解する日本人が日本政府の中にいなかった。『是清、今ありせば』高橋是清は、ここから数年前の昭和11年の二・二六事件で青年将校に暗殺されている。高橋是清は、陸軍への軍事費を抑制したために恨まれ、殺害された。何とも惜しい人物を日本は失ったことか。単なる暗殺事件で終わらず、歴史は続くとこのことを知って感じ入った。

もう一つ付け加えておきたい。それにしても、是清の能力を認め、遊蕩三昧していた生活から中央まで引っ張り出して要職に就けるという、当時の社会の寛容さ、特に日銀総裁だった川田小一郎の度量にも感心する。一度大学を辞め、芸者の箱持ちなどをしていた身を持ち崩した男を抜擢する肝要さが、今の日本にあるだろうか。

高橋是清の例は、一流の人物を輩出するためには、社会の寛容さが必要だということを、如実に物語っていると言えるだろう。さすが上智大学名誉教授渡部昇一氏の博学には、敬服した。たいへん面白く読ませて頂きました。



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| 社長日記 | 08:54 AM | comments (0) | trackback (0) |

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