朝からテレビ各局は、『あれから10年目』を報道している。節目と言われても、普通の日と何ら変わらない一日24時間。あの日、続くと信じていた日常を地震と巨大津波が奪い去った。1万8千人を超える死者・行方不明者を出し、戦後最悪の自然災害となった東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故から本日11日で、丁度10年の時間が過ぎました。
インフラ復旧も終盤に入った。既に完了した事業も多くあるようで、復興需要で生活そのものはどうにかなったという宮城県石巻市在住の小野寺靖(丸興産業㈱役員・旧盛和塾)氏は、「復興需要には終わりがあるもので、産廃などの新規事業に取り組んでいる」と力強く話していた。先ほどの電話では14:46の地震発生時刻に合わせて、日和山へ登っていると言っていました。
地震津波当日、この日和山でNHKのインタビューがあったとか。直ぐ下が『南浜町』で、「南浜町にお住まいですか、いえ違います。」でインタビューはカット。でも厳つい顔は、全国ニュースに流れていました。今なお、原発事故で愛する故郷を追われるなどした約4万1千人が、全国で避難生活を送る。厳しい現実と向き合う被災者にとって、10年は復興の節目ではなく、通過点に過ぎないことを忘れてはならないと思う。
東京電力福島第一原子力発電所事故で放出された放射能物質は、広域を汚染した。慣れ親しんだ地域での暮らしを奪われ、福島県外に避難する人は今も約3万6千人に上る。国内の災害で前例のない規模や期間に及ぶ避難の実相は、原子力災害からの復興の難しさを映し出す。県外への避難者は、福島以外の全都道府県に分散している。
関東圏は計15,964人で、東京都の3,000人が最多で、茨城県2,925人、栃木県2,756人と続く。北へ逃げた人も東北圏へ5,067人、中四国で587人、九州・沖縄はそれよりも多くて839人が避難した。福島県の内堀雅雄知事は『県の復興は途上ある』とした上で、『復興を進めるため、体制、制度、財源を基に具体的な取り組みを着実に進める』と話す。
高速道路や鉄道などのインフラ整備は着実に進んでいるが、一番気になるのが素人考えだが、東京電力福島第一原子力発電所事故現場のデブリの取り出しと、タンクに溜まり続けている処理水の行方だ。用意したタンク約1千基は、2022年秋にも満杯になる見通しで、保管を続ければ廃炉作業の妨げとなりかねない。政府は海洋放出の決定に向けて関係者と調整を進めているが、決定には至っていない。今は少なくなったとは言え、1日平均140トンの汚染水が発生している。
明治大後輩の牡渡正剛(石巻中央不働産㈱社長)氏にも、連絡を入れた。不動産仲介業は低迷を続けていて、復興住宅以外は、見なし仮設住宅制度(既存の賃貸住宅を国県が借り上げて、被災者へ無償提供する)も終わり、事業用居住用共に沈滞しているとのことだった。新型コロナウィルスの感染拡大に伴い、石巻市は感染者が少ないモノの、仙台がやはり感染増の中心となって周辺にも影響を与えているようだ。
水産業の現状も聞いたが、私が被災者の宮本嘉二の友だちと知っている二人は、口が重い。サンマの水揚げが極端に少ないのと、金華山沖の『金華サバ』の生消費が、新型コロナウィルス禍で極端に少なくなっているという。漁業の町石巻だから、何業にあっても漁業の話題は雑談の中心になる。『金華サバ』は、最近缶詰需要が増えているようだ。災害非常食としても、好評を博している。
復興資金を借りて工場などを建設した企業に、10年経過で、元本の支払いが重くのしかかってくると牡渡正剛(おとただたけ)氏は、申し訳なさそうに言う。「あんたの責任ではないのに」。これまでは金利だけの支払いだったモノが、元本までもとなると、同じ経営者として胸が詰まる。被災者の宮本嘉二への激励は、今日は辞めておこう。そんな激励より、ビール1ケースが喜ばれる。本人から早々LINEが入った。
次の10年が始まる。まず2020年の東京五輪・パラリンピック大会の聖火リレーが、東北福島で始まる。海外からの観客を閉め出したとしても、『オリパラ』は実施したい。高松市内でも、4月18日(日)の聖火リレーの交通規制看板が並び始めた。まず聖火リレーから、20年目のスタートにしませんか。