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3.11東日本大震災から10年 シリーズ3福島の子どもたち香川へ
福島と香川をつなぐボランティア活動、『NPO法人福島の子どもたち香川へおいでプロジェクト』も、10年を迎えます。私も折に触れて、ほんの僅かの募金をしています。そんな関係で、記念誌が贈られてきました。活動は、放射能汚染の不安の中で暮らす福島やその近県の子どもたちに、自然の中でのびのびと子どもらしい時間を過ごしてもらおうと、2011年7月に活動を開始しました。

これまで長期休暇中の13回の保養プログラム(当初は「キャンプ」と称していた)、8回のホームスティ、年間を通じての『おいでハウス』(生活用品の揃った借り上げ民間住宅)での受け入れなどで、のべ約890人の福島の子どもたちとその家族を香川に受け入れました。さらには移住してきたご家族の子育てや交流支援、福島の現状を知るための講演会・上映会・写真展の開催やさまざまなイベントでの、活動報告パネル展示も行っています。

初回の2011年8月8日から19日までの『夏休み保養(キャンプ)』は、バス1台を借り上げ、子ども29人と保護者10人を、『五色台少年自然センター』に迎えたものだった。この時のボランティアは112名、ぶっつけ本番の手探りだったと書かれています。この時の乗り物は貸し切りバスですが、『北陸経由淡路島・鳴門ルート』、のちには高速夜行バスの保養もありました。

それから、東北新幹線&東海道新幹線&瀬戸大橋線とつないだ年もあったようです。そんな交流の中から生まれた工夫が、『おいでハウス』。年間を通じて家族で滞在できる、『おいでハウス』(生活用品が揃った民間住宅)を設けることになります。そのきっかけは、2011年夏の初めての保養活動の終了間近に、参加者3人のお母さんから「もう少しこちらに滞在できないだろうか」と相談を受けたことでした。

大急ぎで探したところ無料でお借りできる家が庵治町に見つかり、そこが『おいでハウス』第1号となりました。その後、牟礼町・宮脇町・伏石町ハウスと一番多い時は4軒の『おいでハウス』をお借りして、これまでにのべ123家族377人を迎えてきました。しかしながら現在は鬼無町ハウス1軒になりました。その中には、滞在をきっかけに香川に避難・移住してこられた家族、移住を決め『おいでハウス』に滞在して、家探しをしたご家族もおられました。

移住してきた家族は、被災地だけでなく関東周辺からも多くありました。被爆の影響は、甲状腺に異常をきたし、それも子どもに多いと言われています。小さな子どもを抱えた親は、子どもと母親だけを疎開させるという世帯もあったと聞きます。東京電力福島第一原子力発電所事故の後、風が北と東にながれています。そのために大熊町から北西の双葉町等に、放射能の被害が広がっています。

また東風に乗って、太平洋沖にも多くの放射能被害が広がっています。この影響をもろに受けたのが、米海軍航空母艦などの米海軍です。未曾有の地震発生の一報と同時に、横須賀の米軍基地から艦船が福島沖まで進み、この場所で被爆しています。『友だち作戦』の一環ですが、風向が南だったら、首都圏でも甚大な被害があったことでしょう。

話を『福島の子どもたち香川へおいでプロジェクト』に戻しますが、まだまだNPO法人の支援は続くのだと思いますが、新型コロナウィルス感染防止のため、2020年に続き2021年春休みホームスティも、中止することになったようです。善きこと出来ることを、出来るときにするのが、人として尊いことのように思います。





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| 社長日記 | 09:29 AM | comments (0) | trackback (0) |

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