1970(昭和45)年11月25日、夕方のテレビニュースが大騒ぎしていた。作家の三島由紀夫氏が『盾の会』メンバー数人と、東京市ヶ谷の陸上自衛隊駐屯地の建物に日本刀を所持して立てこもり、総監室からベランダに出て自衛隊員に、「自衛隊が立ちあがらなければ、憲法改正は出来ない」という趣旨のアジ演説をした後、割腹自殺をした事件を報道していた。
その時私は高校2年生で、日本史の太田啓太先生から『三島由紀夫という作家が、その内ノーベル文学賞を貰う』と聞いていて、そんなに凄い人間がどうして自衛隊で割腹自殺をするのか、不思議に思ったのを今でもよく覚えています。あれから50年もなるのか。月日の流れるのは、実に早いものだ。
三島は大正14年1月生まれで満年齢と昭和の年数が一致し、その人生の節目や活躍が、昭和時代の日本の興廃や盛衰の歴史的出来事と相まっているため、「昭和」と生涯を共にし、その時代の持つ問題点を鋭く照らした人物として語られることが多い。晩年は政治的な傾向を強め、自衛隊に体験入隊したり、民兵組織の「楯の会」を結成したり。
代表作は小説に『仮面の告白』『潮騒』『金閣寺』『鏡子の家』『憂国』『豊饒の海』など、戯曲に『近代能楽集』『鹿鳴館』『サド侯爵夫人』などがある。修辞に富んだ絢爛豪華で詩的な文体、古典劇を基調にした人工性・構築性にあふれる唯美的な作風が特徴。辞世の作品となった『豊饒の海』は私も読みましたが、時間を掛けてまた読んでみたいと思う作品の一つであります。
『豊饒の海』の発表形態は、まず雑誌『新潮』に連載され、その後に
新潮社から刊行された4部作で、『春の雪』『奔馬』『暁の寺』『天人五衰』の全4巻から成る。最後に三島が目指した、「世界解釈の小説」「究極の小説」である。最終巻の入稿日に三島は、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺したのです。
第一巻は貴族の世界を舞台にした恋愛、第二巻は右翼的青年の行動、第三巻は唯識論を突き詰めようとする初老の男性とタイ王室の官能的美女との係わり、第四巻は認識に憑かれた少年と老人の対立が描かれている。構成は、20歳で死ぬ若者が、次の巻の主人公に輪廻転生してゆくという流れとなり、仏教の唯識思想、神道の一霊四魂説、能の「シテ」「ワキ」、春夏秋冬などの東洋の伝統を踏まえた作品世界となっている。また様々な「仄(ほの)めかし」が散見され、読み方によって多様な解釈可能な、謎に満ちた作品でもある。
『驚きの秘話ノーベル文学賞と自決の謎』NHKクローズアップ現代で宮本亜門氏は、次のように語っています。
川端が日本人で初めて文学賞を受賞した1968年。興味深い記述がありました。実は三島も候補として名前が挙がっていました。しかも今後の成長しだいと評価され将来に受賞の可能性も残されていたのです。
しかし2年後…。
三島は、自衛隊に乗り込みクーデターを呼びかけた末、割腹自殺。さらにその2年後川端もガス自殺します。謎に満ちた2人の死は今も人々の関心を集めています。
確かに三島由紀夫の作品には、われわれ凡人には理解しがたい記述が多い。金閣寺にしても、わからないことが多い。村上春樹氏もノーベル賞候補と言われて久しいが、彼の作品も大西秀人高松市長がよく例示する『海辺のカフカ』にしてもよく理解できない。それを理解しようともがくのが、文学の極みかもしれない。