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84年目の二・二六事件BSNHKを観て
二・二六事件(にいにいろくじけん)は、1936年(昭和11年)2月26日から2月29日にかけて、皇道派の影響を受けた陸軍青年将校らが1,483名の下士官兵を率いて起こした、日本のクーデター未遂事件であります。 この事件の結果岡田内閣が総辞職し、後継の廣田内閣が思想犯保護観察法を成立させた。事件は、戦争の足音が聞こえ始めた頃のことでした。

国会議事堂、赤坂、六本木、首都・東京の中心部を戦車が走り、銃剣をもった兵士が占拠、市民1万5千人が帝国劇場等に緊急避難。小説でも映画でもない、実際に起きた出来事です。これまでは、陸軍が事件後にまとめた裁判資料が主な公文書とされていましたが、なんと、事件発生から収束まで同時進行で、詳細に記録した公文書がこのほど見つかったのです。

公文書を残したのは、日本海軍でした。事件を起こした陸軍の様子や天皇の状況まで、極秘情報を克明に記していました。それだけではなく、実は海軍自身が事件と深い関わりがあることまでも、極秘文書には記録されていたのです。陸海軍は共に日本国軍ですが、ある意味予算取りや天皇からの信認などでは明らかに敵であります。

私たちが知る歴史は、一断面に過ぎなかった訳です。NHKは、「二・二六事件」の一部始終を記した、「最高機密文書」を探し出したのです。1936年2月、雪の舞う東京での重要閣僚らが襲撃された、近代日本最大の軍事クーデター。最高機密文書には、天皇の知られざる発言や、青年将校らと鎮圧軍の未知の会談、内戦直前だった陸海軍の動きの詳細など、驚くべき新事実の数々が記されていた。事件の全貌に迫る「完全版」が放映されていました。

二・二六事件に至るまでの数年は、軍による一連のテロ行為やクーデター未遂が頻発した時期でもありました。最も顕著なものは昭和7(1932)年の五・一五事件で、この事件では若い海軍士官が犬養毅首相を暗殺した上に、各地を襲撃した。この事件は、将来クーデターを試みる際には、兵力を利用する必要があることを、陸軍の青年士官たちに認識させた点で重要であったといえる。

二・二六事件をおこした彼らは、かねてから「昭和維新、尊皇斬奸」をスローガンに、武力を以て元老重臣を殺害すれば、天皇親政が実現し、彼らが政治腐敗と考える政財界の様々な現象や、農村の困窮が終息すると考えていた。そのうえで、彼らは陸軍首脳部を経由して昭和天皇に昭和維新を訴えたが、天皇はこれを拒否した。

天皇の意を汲んだ陸軍と政府は、彼らを「叛乱軍」として武力鎮圧を決意し、包囲して投降を呼びかけた。叛乱将校たちは下士官兵を原隊に復帰させ、一部は自決したが、大半の将校は投降して法廷闘争を図った。しかし、事件の首謀者達は銃殺刑に処された。詰め腹を切らされた。

事件後、軍部が急激に力を持ち、日本は戦争への道を突き進んでいきます。事件を他人事としてではなく、私たちの時代にもつながる、忘れてはならない記憶として、ご覧いただければ、制作者一同、これほど有り難いことはありません。これは、NHKからのコメントです。新しい「資料」が出現して、歴史が少しだけ修正されていきます。

改めて二・二六事件を見て、陸軍の存在は今の安倍政権と酷似しているように感じます。野党議員が何をどう追求しても、木で鼻をくくるような答弁の仕方。安倍晋三首相の「丁寧に誠実に応対していく」という言葉とは裏腹に、「野党=世間」をなめきっている。長期政権の驕りが、垣間見える。「桜の会」も、天皇陛下主催の園遊会の向こうを張った行事であろう。

天皇陛下主催の園遊会よりも、自分が主催する「桜の会」の参加者が多い、それが安倍晋三首相の「鼻高」なのだろうか。今回の新型コロナウィルスに対する政府の対応にも、真剣さを感じない。世紀に一度あるかどうかの国難に、「好きにしたら」は危機対策が全く機能していない。安倍晋三首相の次は「安倍」だと言われるが、真剣に取り組むリーダーに私は期待するのです。

萬(ばん)民(みん)の上に位する(くらいする)者、己を慎み、品行を正くし、驕奢(きょうしゃ)を戒め、節倹(せっけん)を勉め、職事を勤労して人民の標準となり、下民(かみん)その勤労を気の毒に思うようでならでは、政令は行われ難(がた)し。然る(しかる)に草創(そうそう)の始めに立ちながら、家屋を飾り、衣服をかざり、美姜(びしょう)を抱え、蓄財を謀り(はかり)なば、維新の功業は遂げられ間(ま)敷(じき)きなり。今となりては、戊申の義戦も偏(ひとえ)に私を営みたる姿に成り行き、天下に対し、戦死者に対して面目無きぞとて、頻り(しきり)に涙を催され(もよおされ)ける。
南洲翁遺訓(読み仮名付)四

国民の上に立って政治を行う者は、先ず以て己を常に省みて、自分の行いを正しくし贅沢や奢りに流されず、節約をして無駄を省き仕事を立派に果たさなければならない。そして人民の模範となって、一般国民が其の仕事ぶりを気の毒だと思うようでなければ政治は行われないものである。

それなのに明治の始めの一番大事な時に、家屋を飾ったり、衣服をぜいたくしたり、きれいな妾をかこったり、自分の財産を蓄えること等を考えておったならば維新の成果を上げることはできる筈がないのである。

今となり省みれば、戊辰戦争をはじめとする大きな苦難や犠牲を払われたことが、不真面目な為政者の私事のためとなってしまった。こんなことで良いのであろうかと、戦死者をはじめとする先人たちに申し訳ないと言われ、しきりに涙を流された。


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| 社長日記 | 09:51 AM | comments (0) | trackback (0) |

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