福島県いわき市「スパリゾートハワイアンズ」の、モノリスタワー8階で目覚めて、「江戸情話・与市(大露天風呂)」へ行ってみました。江戸情緒を取り入れた露天風呂で、大きいのは実感しましたが、寒い。蒸し風呂も、天井から水滴が落ちて、期待する蒸し効果はありません。朝一番で、人の利用もまばら。どちらかというと若者世帯の利用が多いスパリゾートの、大露天風呂はプールに負けている。
3人部屋に、一冊の表題の本がありました。昨日、常磐ハワイアンセンターからの歴史館へ入ってみました。この施設が誕生したヒストリーが、詰まっていました。そもそも昭和19年(1944)3月、政府指導により、入山(いりやま)採炭株式会社と磐城炭礦(いわきたんこう)株式会社が合併して、本州最大の炭鉱会社である常磐炭礦株式会社が設立された。
常磐とは、この地が東北地方福島県東部の「磐城(いわき)」と関東の一部茨城県「常陸(ひたち)」にまたがっていたため、両方から一字とって「常磐」とした歴史があります。石炭は「黒いダイヤ」と呼ばれ、まさにヒーロー的存在であったが、同時にこれが悲劇の始まりであった。
常磐炭田は地層が激しい褶曲(しゅうきょく・堆積当時水平であった地層が、地殻変動のため、波状に曲がる現象。また、それが曲がっている状態。)を受けているため、石炭層を求めて地下へとひたすら堀下げなければならず、もっとも深いところでは600メートルも堀下げて採炭しなければならない現場が多かった。
また「灼熱の常磐炭礦」と呼ばれた採炭の現場には、高温の温泉が常に湧出しているので、堀削と同時に坑内から温泉排水を行わなければならない。毎日が危険と隣り合わせだった。常磐の地に集められた従業員は、約1万6千人。その家族を含めると約6万人が住む、企業城下町として栄えた。一山一家の伝統(常磐文化=常磐DNA)は、こうした現況から生まれた。
そうした情勢に対し、いち早く危機感を抱いていたのが、後に常磐(じょうばん)ハワイアンセンターの生みの親となる中村豊であった。そして昭和41年、日本のハワイ「常磐ハワイアンセンター」をオープンさせた。これまで負の財産であった温泉水を、正の財産にすることに成功した。と同時に、手づくりの自前の「常磐音楽舞踏学院」を設立し、フラガールを養成した。
昭和50年代後半になると、海外への渡航も簡単になり、かつて「あこがれの島」であったハワイへも気軽に行けるようになった。さらに昭和58年には「東京デズニーランド」がオープン。一時は年間155万人まで伸びた常磐ハワイアンセンターの入場者数も、同年には100万人を割った。
そして平成2年3月、「常磐ハワイアンセンター」は、「スパリゾートハワイアンズ」に名称を変更し、施設に於いてもあらたな投資に挑戦した。昨日ここで働く従業員が800名と聞いたが、親子3人の就業は今でもあるようで、父親がホテルマン、母親が接客係、息子や娘が調理担当も当時は当たり前。そして今では親子孫、3代家族もいるそうです。
そして利用客も、「親子3世代が楽しめる施設」を目指して、世界初とか世界最長とか、庶民の関心を惹く施設が作られている。昭和63年に常磐自動車が開通、首都圏から僅か200㎞、2時間での移動が可能となった。私は東京駅から、スパリゾートハワイアンズ行きの無料バスに乗車して3時間かかって移動した。
さてさて肝心の「フラガール」だが、先の一山一家手づくりの精神から、開業前から常磐音楽舞踏学院を設立し、自前でダンサーを育ててきた。「裸踊り」とか「ヘソ出し踊り」とか揶揄される中、常磐(じょうばん)ハワイアンセンターの生みの親となる中村豊は、自作にこだわった。そして平成18年9月23日、これを映画化した「フラガール」全国公開。これが観客動員数125万人、興行収入15億円という大ヒットを記録し、日本映画史に名を刻んだ。
しかし平成23年3月11日と4月11日、東日本大震災と東電福一の事故と、その後の余震、スパリゾートハワイアンズは大打撃を受けた。しかしこのタイミングで、フラガールたちは、全国慰問の旅に出た。全国行脚「フラガール全国きずなキャンペーン」は、開園前の昭和41年以来2度目。過密なスケジュールの中、フラガールは全国にほほえみを届けた。
今回スパリゾートハワイアンズへ行くのに、何も考えずに行きましたが、常磐ハワイアンセンターが炭鉱夫やその家族の労働確保生活確保のために誕生したモノであることぐらいしか知らなかったのだが、一冊の本を読んでみたら、流石によく分かる。今の時代、東の東京には「東京デズニーランドやデスニシー」西には、「ユニバーサルスタジオジャパン」がある。
今日の昼間フラガールの舞台は、昨晩の夜の公演よりおもしろかったし、人も多かった。温水プールのついでにショーを観るのから、ショーを目当てに来る人も増えたという。男性陣のポリネシアン「火の踊り」にも大勢の女性ファンが駆けつけるという。どうやって生き延びて、進化生成していくのか。「考えよ」稲盛和夫塾長の机には、常にこれがあった。
最後に今回のおじさん集団は、明大中野渡ゼミのOB7人。フラガール物語の著者清水一利さんも、明大OBらしい。偶然だが、あらためて常磐ハワイアンセンターに思いを馳せる機会を得ました。ありがとうございます。幹事の遠藤素弘さん、感謝です。また呼んで下さい。