国立科学博物館のチーム5人と、エンジンつきの船で丸木舟に付き添ったチームは、台湾から200㎞以上離れた東シナ海に浮かぶ沖縄県・与那国島に、9日午前11時48分に到着、草舟、竹舟に続く3度目の丸木舟で、実験に成功した。45時間に及ぶ執念の航海だったが、3万年前の人間がなぜ海を渡ったか疑問が残る航海になったようだ。
途中の休憩の間に黒潮に流され、かえって与那国島に近づけたという幸運にも助けられたと言うが、男女5人の人力だけで目的を達成したのは、あっぱれ。3万年前になかったモノは使わないとして、丸太の切り出しから舟の「造舟」も石の斧だけ。地図も時計は持たず、星や太陽の位置で方向を判断しながらの航海。
日本列島には、朝鮮半島やサハリンからとは別に、大陸と陸続きだった台湾から海を越えて渡来した人がいたと考えられている。ただ、どんな舟や航海技術を使ったかは分かっていない。あくまでも現代人の想像によるもので、2016年からの挑戦の、今回が最終の挑戦とされていた。
5人は夜を徹してこぎ続けたと言うが、健康状態は問題ないようだ。それにしても、長さ約7.5m幅約70㎝の舟で、移動も出来ず、生理的要求にも苦労があったと思う。食料や水は、伴走船から補給したというが、これは3万年前になかったことだ。
過去この類いの実験に、私もつきあったことがあります。もう30年40年前の話しですが、高松在住の佐々木昭さんが、「野生号Ⅲ」に乗ったのです。「野性号Ⅰ」とは、1975年、角川書店社長 角川春樹 氏が企画した、魏志倭人伝の渡海に使った冒険実験古代船です。櫂(オール)による人力だけで渡海を試みました。しかし、「野生号」は曳航しなければ「朝鮮海峡」(釜山→対馬)を渡れませんでした。
これの第2段、「野生号Ⅱ」が双胴船でつくられ、1977年に航海。古代日本人は黒潮にのってやってきたのかという謎を解くため、「黒潮文化の会」による古代史学術調査事業の一環としてフィリピン-鹿児島間(2500キロ)を実験航海。 途中、様々なトラブルに見まわれながらも、黒潮と風による44日間の航海を見事成功。ドキュメント映画 「野性号の航海(翔べ 怪鳥モアのように)」 になっている。
そして第3段「野生号Ⅲ」。「縄文土器が南米エクアドルで発見された?」という謎をとくための、「太平洋古代文化の会」による古代航海実験。下田-サンフランシスコ-アカプルコ-グアヤキル-リマ-アリカ(チリ)間(18000キロ)。 これに佐々木昭さんがクルーとして参加され、毎朝6時にアマチュア無線で無事を確認していました。途中からタンカーの船長も加わり、3局ネットワークでした。
この航海は、「縄文人の太平洋渡航」の仮説を直接的に実証しようとするものではなかったのですが、中南米の沿岸に限らず太平洋の島々から縄文土器に類似した土器等が数多く発見されている事実をもとに、より広い可能性を調査・実験するためのものでありました。
航海はサンフランシスコまで50日間、最終目的地南米チリの最北端の町アリカまで207日間で到着し、無事航海を終えたのでした。このころの角川書店は、冒険心に富み、角川春樹氏自らが隊長をつとめたぐらい勢いのある会社でした。