「いま」を伝え、「未来」を育てるビジネス香川VOL264に、木下製粉社長・木下敬三さんが紹介されています。坂出市の製粉会社、木下製粉。戦後すぐの創業で、木下敬三さんは2代目、29年前に海外での仕事を捨てて木下製粉へ入社、翌年から社長に就任。先代父・虎七さんの逝去が、その理由です。
従業員35人の小さな町工場で生まれる上質な小麦粉は、「がもううどん」「日の出製麺所」「坂出山下うどん店」など人気店をはじめ、全国600社以上に納品されているようだ。木下敬三(62)さんは、小麦粉の「鮮度」を何よりも重視する。「鮮度が高いほど風味が良い。うどんを噛んだ時、一呼吸遅れて口の中に広がる小麦粉の旨みや甘み」。うどんは、コシより味だというのも共感できる。
実は前職・麺職人の頃、私も木下製粉の小麦粉を使っていた。営業の「おじいさん」がなんとも言えない味を持って、弊社のような小さな製麺所までやって来ていた。木下製粉の小麦粉は、確かに収穫すぐの頃のモノは、日清製粉など大手に負けないリキの強い小麦粉でありました。しかしその品質が、1年間となると当時は続かなかった。
うどんの善し悪しは、ずばり原料の小麦粉にあると麺職人を離れた今でも、そう思っています。当時の弊社は、学校や病院の給食用のうどんを卸業として製麺していて、今のように店頭で販売しないのに、手打ちをしていました。同時に乾麺を製造していたので、小麦粉の消費量はうどん店よりは多かったと思います。
私の木下製粉さんの印象は、誠実にひたすら小麦粉の品質を追求する職人集団と考えていました。正直な話し、あの木下製粉さんが今に残って隆盛を極めているのは驚きです。製粉業は典型的な装置産業で、絶対的に大手が有利です。そんな不利の状況の中で、木下製粉社長・木下敬三さんが追い求めるのは、「品質の追求」と「大手との差別化」のようです。
記事によると、小麦は少し砕いてはふるいにかける工程を何度も繰り返し、胚乳から表皮までの部位ごとに、一粒で実に50種類もの小麦粉に分けられる。小麦粉は、強リキ粉・中リキ粉・薄リキ粉と大きく三つに分けられる。「長い工程の中で小麦粉は、空気の流れに乗って工場内を移動するため、大量の空気によって強制的に酸化させられる」。
これが鮮度を落とす要因の一つになるが、小規模の設備だと空気に触れる機会が減るので鮮度を保つことができることになる。製粉業界は、大手4社が生産量全体の8割を占める。製粉会社は全国的に、時代と共に淘汰され、四国でも20年前には10社あった工場が今は半分に減ったという。
木下製粉社長・木下敬三さんは新商品の開発も手がけているようだが、何とか踏ん張って、先代の意志、うどんの聖地の意志を次につなげて貰いたい。良い顔されています。