2019,04,30, Tuesday
天皇陛下の退位の日、平成最後の日に、よりによって高松栗林ライオンズクラブ設立55周年時の会長(現56周年)を頑張ったL増田宗樹(46)の告別式が、11時から「ベルコ藤塚」で、大勢の参列者を集めて行われました。壮年者の葬儀は、配偶者も子どももまだまだ若くて、特別に涙を誘う。朝から特番で、天皇皇后両陛下のこれまで歩んでこられた道が、報道されている。
それを横目で眺めて出社。簡単な朝礼を終えて、早めに出かけます。「ベルコ藤塚」の駐車場が40台と聞いています。かみさんから慶事はいいが、弔事は書くなと言われているのです。しかしL増田宗樹の逝去(退会)は、高松栗林ライオンズクラブにとって、また私のこれからの人生にも、大きなマイナスになりそうです。 時代というか、四国内のライオンズクラブメンバーの数も、このところ減り続けているのです。そんな中でも、わがクラブにあっては、一昨年の54年度に11名、昨年の55年度にL増田宗樹の活躍もあって5名の入会があったのですが、今年も5名ほど入会しましたが、退会も続きその反動に今年の執行部は苦しんでいます。増田宗樹の退会で、マイナスになる見込みです。 L増田宗樹は、今年満46歳、プルデンシャル生命保険高松支社の課長という紹介でした。平成15年7月、故L森荘太(当時会長)のスポンサーで入会しました。平成19年45周年の幹事を、平成29年7月からの55周年が会長と、ライオンズクラブの出世街道をまっしぐらでした。5・10・15と続く周年の3役は、クラブを背負うメンバーがなります。 それだけに期待の星であった訳ですが、私は嫉妬もあってか、彼の55周年会長就任には消極的でした。要するに、まだ早いというのが私の考えでした。まだまだ先にやるべきメンバーが、高松栗林ライオンズクラブにはいました。しかしそれ以上にL増田宗樹に期待するメンバーの声が多くて、彼も仕方なくうけざるを得なかったのです。 喪主は増田優子(令室)さんでしたが、喪主挨拶で「宗樹さんは4月28日(日)13:34分、いい顔して眠るように逝った」そうです。あの顔は、きっと天国へ行ったのだと思うと優子さんは落ち着いた声で、メモに目をやりながら抑揚なく話していました。昨年の秋、胃の不調を訴えて通院していたとか。元旦に、東かがわ市の山へ家族4人で登山し、その後日赤高松でCT検査をして、肝臓など内臓への腫瘍の転位を発見したようです。 病名の神経内分泌腫瘍 (neuroendocrine tumor/neoplasm: NET/NEN)とは、内分泌細胞に由来する腫瘍です。神経内分泌細胞はホルモンやペプチドを分泌する細胞のことで、全身に分布するため、腫瘍も全身の臓器に発生しますが、このうち、消化器に発生するものが約60%、肺や気管支に発生するものが約30%を占めます。消化器のなかでは特に膵臓、直腸に発生するものが最も多いとされています。 喪主の言葉では、10万人に2~3人の発生率で、4月12日に再入院して、28日を迎えてしまうことになりました。精神的なストレス(ライオンズクラブのこともあるか)からのガンかも知れませんが、友人代表の弔事では、弔事と言わず「感謝」と冒頭宣言されて、若干45歳で親友がライオンズクラブの会長まで務めて「格好いい」と二人して涙したそうです。 その友人は、インターネットで「増田宗樹」を検索して、ライオンズクラブ関連のその事を知ったようです。「増田宗樹」の検索では、この会長日記が第3位に入っていて、二人の会話に話題を提供したのかも知れません。以下に、その日の日記の情報を置いておきます。 ここをクリック |
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