節分は、雑節の一つで、各季節の始まりの日の前日のこと。節分とは「季節を分ける」ことも意味している。江戸時代以降は、特に立春の前日を指す場合が多い。 太陰太陽暦では、立春に最も近い新月を元日とし、月の満ち欠けを基準にした元日と、太陽黄経を基準にした立春は、ともに新年ととらえられていた。 ウィキペディア
今日のネタは、「恵方巻き」と呼ばれる最近の風習について、私の考え方の披露です。笑って下さい。一口に言ってマスコミが盛んに取り上げる恵方巻きの「廃棄」です。「もったいない」を超えて、「罰当たり」ではないかと思うのです。ある大学の先生の意見ですが、恵方巻きの売上総額257億400万円のうち、4%の10億2800万円が廃棄されているのではという。
「豆まき」は、江戸時代には既に行われていたようで、私の身の回りでも、一宮の田村神社などがローカルでは有名です。全国的には、成田山新勝寺や京都伏見稲荷など、有名人を招いての大規模豆まきが報道されています。神社にとっては、正月三が日に続く、かき入れ時商戦でしょう。
一方恵方巻きは、私の感覚では、「コンビニエンスストア大手「セブン‐イレブン・ジャパン」など、大手コンビニの戦略で全国展開されたイベントだと考えています。確かに関西方面では、巻き寿司を丸かじりする風習を聞いたことがありますが、讃岐では恵方巻きとは言わなかったと思います。
今では「恵方巻き」が全国共通の呼び名で、関東で言う「太巻き」です。コンビニを震源として全国へ広がったと私は考えているのですが、今では一大イベント商品として、スーパマーケットやデパートの食品売り場にも山積みされています。そしてその日が終われば、廃棄される運命にあります。実に、もったいない。
しかしよくよく考えてみると、廃棄商品は「恵方巻き」だけではない。日常に例えば「弁当」などの日配品も、毎日廃棄されているのではないだろうか。と偉そうなことを言う私も、ホテルの立食パーティーでも、また家庭でも食べ残しをして捨てている。このように少量の問題を除外して、大量の「廃棄」だけを問題にするのは、文字通り問題だと思う。
ではどうするか、これは倫理観だけでは解決しない問題だ。「損得勘定」がつきまとう。さらに話しを広げると、「本」の流通でも「?」がつく。アマゾン本は別として、書店で販売されている本は買取ではなくて、委託商品、つまり返品が聞く商品なのだ。本は恵方巻きと違ってまず腐ることはない。だから返品というシステムが成り立つのだろうか。
この古くからの商習慣も、最近はリユースではない新品買取おろし業者が現れ始めている。その替わり、仕入れ代金が平均して安くなるのかも知れないが。商品価格は、需要と供給で決まる。恵方巻きにしても1週間は保たないが、翌日1割程度で販売すれば、それはそれで売れるのではないだろうか。
このあたりは讃岐うどんの美味いところで、私がたまに行く(昼食はかみさんが作り置きしてくれている)「うどんの田」は、釜からあげて30分(これは推定で10分かも知れない)したうどんは、5玉入りで100円で提供されている。私も買い求めて、分けることがある。美味しく食べるためには、分けるという方法もあるのではないか。