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高松松平家墓所仏生山町法然寺国史跡に
大名家墓制の貴重な資料として、国の文化審議会は16日、高松市仏生山町とさぬき市にある「高松藩主松平家墓所」を国の史跡に指定するように柴山昌彦文部科学相に答申した。近く答申どおり告示され、県内で初めての国史跡の大名家墓所となる。四国では、徳島藩主蜂須賀家墓所(徳島市)、土佐藩主山内家墓所(高知市)に続き3件目、全国では27件目。

県教委は、「特に法然寺の墓所は境内も含めて浄土宗の極楽浄土を具現化した空間構成で、一つの思想をここまで反映した大名家墓所は全国でも例がない」としている。法然寺は、松平頼重公が再興して菩提寺としており、県教委は、「頼重公が当初から後の藩主の墓まで考えて計画的に作ったのではないか」としている。

仏生山町周辺では頼重公の諡(おくりな=戒名)、龍雲院殿雄蓮社大誉孤峯源英大居士の「龍雲」を冠した名前が多い。「龍雲地区・龍雲中学校・竜雲うどん」など、「龍雲」を頂く。最も頼重公のおくりなは、「りょううん」だそうで、「りゅううん」とは違うのだが、われわれ町民は違和感なく「龍雲」を使っている。

因みに今の御当主は、14代松平頼武氏(学校法人本郷学園理事長)で、私も一度だけ学園を見学したことがあります。17日が東京香川県県人会総会、殿が会長です。会長の話にも、「国史跡」のくだりは出るだろうし、浜田恵造香川県知事の口から出るかも知れない。「松野、今年の県人会はどうする」、という話しを頂きますが、明日が5年を費やして除幕する「平成乙女の像」。今年は準備も重なり、動けません。

ところで墓所には二つの特徴があり、一つは生前の身分に応じて埋葬位置や墓石の大きさなどが明確に区分されており、階層性が認められること。もう一つが空間構成。墓所への参道は、南北両側の前池と蓮池跡(現仏生山小学校)との間を抜けるように整備され、墓所は真西に位置する。これは、浄土宗の極楽浄土の思想を忠実に表現しているという。

墓所は出城の役割を果たしており、殿の滞在中は、厳重警護です。参道は池に囲まれ、背後は絶壁に近い岩場。12の井戸に3つの米蔵があった出城と、聞いています。また殿は、門前町の賑わいを作るべく、玉藻城下の麺職人をこの地仏生山町へ移住させ、素麺づくりで町の繁栄を仕掛けました。最後の素麺処が、私の松野製麺所(㈲誠幸麺業)でした。廃業に伴い、法然寺の竜雲学園に一式買取をお願いしました。今は境内で、美味いうどんが販売されていて、長蛇の列です。

また法然寺には、「西の寝釈迦」と呼ばれる釈迦像があります。また江戸時代の古図にも記された「五重塔」が、東日本大震前の2011年2月に場所を変えて完成し、その後、落慶法要が町挙げて提灯行列などで行われました。また頼重公の墓参を再現した「仏生山大名行列」が、四半世紀にわたって続いている。

この法然寺の鎮守杜として、真東方向に滕神社(ちきり)があり、神社の正面が西へ向いている全国でも珍しい作りになっています。そして墓所のその西100mに、18日に入魂&除幕式を迎える平成乙女の像があります。その前の発表、聞いてはいましたが新聞記事として紹介されるととてもうれしい。


| http://nobuchin.0011.co.jp/index.php?e=4329 |
| 社長日記 | 12:43 PM | comments (0) | trackback (0) |

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