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この地名が危ないby楠原佑介
幻冬舎新書から2011年12月20日第一刷発行の、驚異的一冊です。著者の楠原佑介氏は、1941年岡山県生まれ、京都大学文学部史学科(地理学)卒業。出版社勤務の後、編集・著述・評論活動に入る。「地名情報資料室・地名110番」主宰。氏は旧地名から、その地の自然災害の発生の恐れを指摘する。

過去に小欄でも紹介したのですが、PHP文庫竹村公太郎著「日本史の謎は地形で解ける(2013年10月)」と「日本史の謎は地形で解ける[文明・文化編](2014年2月)」と「日本史の謎は地形で解ける[環境・民族編](2014年7月)」の3部作は、地形から歴史の謎を解析したものですが、楠原佑介著「この地名が危ない」は地名の漢字の意味から紐解くものです。

氏自身が「災害地名学」と名付けたように、「この地名は何なんだ。なぜ、こう命名されたのか」と言うことばかり考えて少年時代から過ごしてきたという。平成2年(1990)11月から噴火活動を再開し、翌年平成3年6月3日に溶岩ドームが崩落してマスコミ取材陣や地元消防団員計44名という大量の犠牲者を出した長崎県雲仙・普賢岳の噴火災害は、まだ記憶に新しい。

私が高松栗林ライオンズクラブ(当時は浅田善太郎会長)の幹事をしていた時の話で、普賢岳噴火で落ち込んでいた島原第四小学校の児童十数人を、第5回高松冬のまつりに招待した。私は派遣交渉のために、島原市役所などを訪問した。私にとっては懐かしい思い出の地でありますが、被災された大勢の方の苦労はいかほどであったか、お見舞い申し上げる次第です。

その普賢岳は、なぜ普賢岳と呼ばれたのだろうか。普賢菩薩は釈迦如来の脇に控える仏神で、慈悲を司るとされる。その仏神の普賢が、なぜ火山の名になるのか。火山が噴火することを、和語ではフク(吹)という。このフク(吹)という自動詞に対応する可能動詞はフケルになるが、そのフケルの未然形に打ち消しの助動詞ヌが付いてフケ・ヌとなり、そのフケヌが擬音便化してフケンと発音する。

可能動詞にンを付けて否定形にする現象は、西日本では今でもごく普通に使われている。つまり普賢岳とは仏神の名を借りてはいるが、実はフケ・ヌ、すなわち「もう、吹けない(噴火しない)はず。そうあってほしい」という地元住民の願いを表現した火山名だったのである。このような、日本語の発達過程から、災害地の特定をしている。

われわれの先祖は、この日本列島に住み始めて一万数千年、この地で水田耕作を始めて二、三千年、その間にいつ襲い来るか知れない災害のことを一日たりとも忘れたことはなかった。この列島の自然の驚異を知り、いつ起こるか分からない災害にどう向き合うか。その災害の被害を最小限度にとどめ、被災地をどう修復し、生きるすべをどう再建するか。そうした地域住民の経験と営為、言い換えれば地域の歴史が地名には込められている。地名は「災害の履歴書」だと言ってもよい。

筆者はこれまでそうした数々の災害と地名の関係について学び、これを「災害地名学」と名付けて資料を集めてきた。その中で本書は特に「地震と津波」を中心に、災害について気づいたいくつかの点をまとめた。最後の方のページに、中京圏名古屋も津波の危険性があり、名古屋は「水に弱い」大都市だとまとめている。



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| 社長日記 | 10:04 AM | comments (0) | trackback (0) |

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