三宅産業㈱取締役会長・中小企業家同友会全国副会長の三宅昭二さんが、21日逝去され、24日通夜そして25日社葬として葬儀告別式が行われた。享年83歳、確かご母堂様の享年が93歳だったと記憶しています。喪主挨拶で、「幾つになっても母親を失うのは悲しい」と話していたのが、今も記憶に残っています。
三宅昭二さんは、私が「香川県中小企業家同友会」に入会した際の、副代表理事でした。喪主の長男慎二さんの弔辞でも、「父は同友会大好き人間でした」という発言がありましたが、私も三宅昭二さんは同友会理念「自主・民主・連帯」の実践者だったと思います。中央でも副会長を、20年余尽くされています。
今日の告別式に、当時の国安中同協専務理事が参列されていました。大きな鞄を椅子の下に置いて、JR観音寺駅から直行されたような雰囲気でした。私も20年ぶりぐらいになりますが、挨拶すると彼の記憶の中に「松野」もあったようでした。国安さんも、三宅昭二さんのように年をとらない人です。
三宅昭二さんは、私が入会した35年前、何かの縁で株主になってもらっていました。額は25万円程度でしたが、有難い縁でした。三宅昭二さんに付いては思い出がありすぎるのですが、こんなこともありました。三宅さんによれば、観音寺ライオンズクラブで、この話しをしたそうです。
私が聞いたのは、同友会の3大イベント(全国総会・青年経営者交流会・全国経営研究会)の一つが名古屋で開催された折、山陽新幹線に乗って名古屋に向かっていた時のことでした。三宅昭二さんを中心に、香川県からの参加者が数人集まって、いろいろな話をしていました。「松野さんもいらっしゃいよ」と言われて仲間に入ると、禁煙の話でした。もちろんその頃の私は、喫煙者でした。
「人間は、その気になったら3日はやめられます。経営者は、意志の強い人間ですから、倍の6日は禁煙が続きます。そしてここにお集まりの経営者は、時間と費用を掛けて経営の勉強に行く優れた人間です。間違いなく12日間は続きます。12日禁煙が続いたら、もう身体からニコチンタールが抜けて、吸いたいと言う気持ちが自然と失せています」
私はこの言葉がきっかけで、翌日から禁煙をして、今も禁煙したままが続いています。本当に三宅昭二さんに「騙されて」良かったと、今も感謝、感謝です。この話には後日談がありまして、この話を徳武産業㈱の十河孝男社長にしたら、彼も禁煙して今に続いています。
告別式ですが、私の斜め前に生後6ヶ月くらいの女の子が、母親に抱かれていました。隣の婦人がそう言うので、6ヶ月は間違いないことだと思います。相の良い子で、私の顔を見て微笑んでくれます。この子の仕草を見ていたら、慎二社長の弔辞も、いつもの私なから号泣ですが、なぜか三宅昭二さんに似ていて、親戚であることは出焼香で呼ばれていたので間違いのないのですが、三宅昭二さんの生まれかわりのようにも見えました。ご冥福をお祈りします。