1971年のアメリカは、今のトランプ大統領と同じ共和党の「ニクソン大統領」が統治していた。そのニクソン大統領は、「2つのニクソン・ショック」と呼ばれている電撃的な発表をした。第1次ニクソン・ショック(ニクソン訪中宣言)は、1971年7月15日に発表された、ニクソン大統領の中華人民共和国への訪問を予告する宣言から、翌1972年2月の実際の北京訪問に至る『新しい外交政策』をいう。
第2次ニクソン・ショック(ドル・ショック)は、1971年8月15日に発表された、米ドル紙幣と金との兌換一時停止を宣言し、ブレトン・ウッズ体制の終結を告げた新しい経済政策をいう。日本の円に対して1ドル360円の固定為替レートを廃止し、最終的には1ドル308円の変動相場となった。そしてその後、徐々に円高になっていったあのショック。
これらは日米貿易収支の不均等を、それは繊維を材料にした争いであったのだが、アメリカが日本に黒字削減を迫ってきた。繊維は元々アメリカのお家芸と言われる「綿製品」を、アメリカの輸出品目として売り出していた。それを日本の、豊田佐吉(発明家。遠江生れ。豊田式自動織機などを発明、海外諸国の特許をも獲得、豊田自動織機製作所を創設。(1867~1930))が、アメリカに対抗できるまでの繊維製品にした。
二つ目のショックは、同じ共和党レーガン大統領の1985年の、プラザ合意。プラザ合意とは、1985年9月22日、先進5か国 (G5) 蔵相・中央銀行総裁会議により発表された、為替レート安定化に関する合意の通称。その名は会議の会場となったアメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市のプラザホテルにちなむ。日本は円高を容認せざるを得なかった。
発表翌日の9月23日の1日24時間だけで、ドル円レートは1ドル235円から約20円下落した。1年後にはドルの価値はほぼ半減し、150円台で取引されるようになった。結果的には今の1ドル110円程度まで、ドル安円高に推移している。トランプ大統領は、見栄も外聞もなく、ひたすら「ミーイズム(自分だけ)」を貫いている。この動きから、本気でドル安、円高を誘導していると勘ぐる。
今のアメリカドルは、金利を上げてもドル安になっている。金利が高ければ、その貨幣に世界の金が集まるのが経済原理だと私は信じていた。原因は、ドルの信用失墜が大きいのかもしれないが、トランプ共和党大統領の「ドル安政策」もあるのだろうか。2000億ドルあると言われているアメリカの借金を、トランプは削減どころか700億ドル増やすような施策を予定している。
これらのことからトランプ大統領は、1ドル50円程度の為替レートを虎視眈々と狙っているのか。これは大変なことだが、ニクソンショックからやがて50年、更なる国難がやってこないとも限らない。私は、50円も視野においておき、その現実が来ても慌てふためかない覚悟をいまからしておくことだと思う。かといって具体策があるわけでもないのだが。