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維新の悪人たちby船瀬俊介の第2段明治天皇は大室寅之祐か
孝明天皇崩御の後、嫡男睦仁(むつひと)親王が、明治天皇として皇位を継承した。小欄の既報のとおり、伊藤博文が岩倉具視の手引きにより、孝明帝暗殺の後、薩長の明治政府は、睦仁の取り扱いに苦慮した。息子も父親同様の、攘夷思想だった。そこで、薩長は天皇のすりかえを画策し、実行に移した。

睦仁親王は、和歌を好む色白の少年だった。心身は虚弱で、禁門の変では、近辺に落ちた大砲の音に失神したと伝えられている。その16歳の少年天皇が、一年も経つと体重24貫(約90㎏)の巨漢にすり替わっていたのだ。そのすり替わった人物こそが、大室寅之祐。年齢は同じ16歳。しかし、二人はあまりに違いすぎて、すり替わりの証拠は歴然。

巨漢の寅之祐は、侍従を相撲で投げ飛ばしたほど。また睦仁は「右利き」、寅之祐は「左利き」だった。同一人物の利き腕が変わることは、あり得ない。そして公家育ちの睦仁には、乗馬記録は全くない。野生育ちの寅之祐は、堂々と馬を乗りこなしている。加えて、色白だった睦仁にあばたはない。寅之祐は幼少期に天然痘を患い、あばた顔。それを、髭で隠していた。

にわかに信じられない話ではあるが、過去に小欄で取り上げた中丸薫女史の「天皇生前退位と神国・日本の秘密」にも、明治天皇は大室寅之祐だとはっきり書いている。明治天皇は徹底した写真嫌いだった。しかし残された数少ない写真は、まさに寅之祐その人である。以上のことが事実だとしたら、日本人にとっては衝撃だ。

実は、明治維新から150年の現代にかけて、秘密結社フリーメイソンは、この情報のすべてを掌握してきた。そして明治、大正、昭和から平成までの日本政府を支配し、操作してきた。弱みを握って、脅しをかけて支配する。これはやくざ、マフィアから秘密結社まで共通する支配の要諦だ。

そして維新から戦後、現在に至るまで、日本支配の「秘密基地」として使われてきたのが山口県の田布施(たぶせ)。その支配は、メイソンからGHQ、CIAと受け継がれている。これが俗に言う「田布施システム」だ。そしてこの偏狭の地から出身したのが、昭和の妖怪と言われた岸信介。安倍晋三総理大臣は、この祖父を「心より尊敬する」という。

岸信介元首相は、満州でアヘンの密売で巨万の富を稼ぎ、A級戦犯として巣鴨プリズンに収監された。絞首刑を免れるために、CIAのスパイとなった。現在の邦貨にして約150億円ものCIA対日工作費を密かに受け取り、それを自由民主党の活動資金とした。満州での稼ぎや、工作費の「安倍家」の取り分は、あの加計孝太郎理事長が今も管理しているという。

このように歴史を追ってくると同党の正体は、CIAの対日工作機関である。知らぬが仏の太平楽な日本大衆も、そろそろ目覚める時である。以上が船瀬俊介氏の、「維新の悪人たち」の一部であります。にわかに信じがたい内容でありますが、これまでの善良で語られた明治維新をこのような視点から見るのも、知的欲求をそそられるところであります。



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| 社長日記 | 08:43 AM | comments (0) | trackback (0) |

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