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明治維新から150年何がめでたい船瀬俊介氏の「維新の悪人たち」
小欄の熱心な読者のA氏から、「ザ・フナイ2018年1月号」のコピーを頂いた。月刊『ザ・フナイ』は、船井幸雄氏が「世の中を変える意識と行動力を持つ人に向けて発信する」と決意し、㈱船井メディアより2007年10月号から創刊した雑誌です。「本当のことが深く分かる雑誌にしたい」との思いで、船井幸雄氏が厳選した、さまざまな分野の超一流の人々に毎月、本音でストレートに書いていただいているという。

船井幸雄氏のことは、また別の機会に書くとして、連載第94号は地球環境評論家・船瀬俊介(ふなせしゅんすけ)氏の投稿です。「維新の悪人たち・・・・それはメイソン革命だ!」―伊藤博文の孝明天皇暗殺、明治天皇すりかえ、2大スキャンダルの深い闇に迫る―というショッキングな本を、共栄書房から上梓したと書かれています。

A氏は私が小欄に書いた、「天皇生前退位と神国・日本の秘密by中丸薫」をご覧になっていて、このコピーを持参されたのです。ありがとうございます。船瀬俊介氏は、敢えてこの一冊を世に問う。日本は今、政治的に未曾有の混乱期にある。経済力も日に日に、まさに奈落の底に落ちるように沈んでいく。このままでは、日本はアジア最貧国に墜ちていく。

船瀬俊介氏は、現代日本人の覚醒を求めるために、敢えてこの本を書いたと言う。「明治維新」の正体は、国際秘密結社フリーメイソンが仕掛けた巧妙な陰謀だった。この事実を、多くの歴史学者たちですら気づいていない。伊藤博文による孝明天皇暗殺の前に、彼の出自について触れている。ここからの記載事項を、私は知らなかった。転載します。

伊藤博文の幼名は俊輔。生家は貧農で、足軽以下の身分であった。彼は
長州藩の最下層の忍者、下忍として頭角を現す。その役目は暗殺であった。彼が通った松下村塾の吉田松陰の身分は、忠忍だった。だから、同塾の正体は、諜報員(スパイ)養成の藩校だったのだ。松陰は田布施出身の少年、大室寅之祐(おおむろとらのすけ)の守り役を博文に命じた。

伊藤博文は1862年12月には、高杉晋作らと英国公使館を焼き討ちしている。生麦事件が横浜でおきて、そして1863年は薩英戦争が勃発している。さらに国学者・塙忠宝(はにわただとみ)を襲撃、斬殺している。まさに血に飢えたヒットマンそのものだ。ところが暗殺者は、豹変する。翌年、英国に密留学という挙に出たのだ。

彼らは別名「長州ファイブ(伊藤博文『内閣の父』・山尾庸三『工学の父』・井上勝『鉄道の父』・遠藤謹助『造幣の父』・井上馨『外交の父』)」と呼ばれる。招待したのは英国一の大富豪でフリーメイソン、マセソン商会会長。現在の邦貨にして10億円近い留学費も、彼らが負担したのは言うまでもない。5人の別名は、「マセソン・ボーイズ」。つまり、マセソンの手の上で操られた少年たち。

孝明天皇の死去は、1867年1月。天皇は、徹底した攘夷論者であった。よって、英国留学で攘夷派から開国派に転じた博文らにとっては、最大の障害でしかない。博文による天皇暗殺を公に告発したのは、1909年中国ハルピンの駅頭で伊藤博文をピストルで銃撃した「安重根(アンジュングン)」と言われている。

彼は裁判の場で、「42年前、現日本皇帝(天皇)の父君にあたる御方(孝明天皇)を、伊藤さんが失い(殺し)ました。このことは、皆、韓国国民が知っています」。私も過去にハルピンへ行きました。現地では、「安重根(アンジュングン)」は英雄扱いです。日帝の中心人物を打倒した、中興の祖であります。

さらにこの伊藤博文による孝明帝斬殺を裏付けるのが、渡辺平左衛門の証言。彼は幕末には、大阪城定番を勤めていた。徳川慶喜の命を受けて、孝明天皇の暗殺犯の探索に着手する。徹底した捜査の結果、天皇家の別邸、堀川屋の厠(かわや=便所)に潜んだ博文が、天皇を下から刺し殺したことが判明。

厠の番人に賄賂を渡し、手引きしたのが岩倉具視(いわくらともみ)である。平左衛門は、探索を察知した長州藩の刺客に襲われ、深手の重傷を負う。臨終のいまわのきわに、子息・宮崎鉄雄氏に事の次第をすべて語り残して、息を引き取っている。宮崎氏は、この衝撃的事実を、歴史家、鹿島昇氏に証言し、驚愕事件が世に明らかにされたのである。後半は、また次回に。





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| 社長日記 | 08:53 AM | comments (0) | trackback (0) |

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