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2026,02,06, Friday
パルス出版から上梓された初版第1刷、社会教育家・田中真澄氏の標題の著書から紹介しています。昨日を思い出してください田中真澄氏のフィロソフィーは、『よい習慣を本気で実践し、物事の処理を素早く行動に移すこと』。これが成功の秘訣だし、大谷翔平選手の場合も、このお題目が見事に当てはまるというのです。今日は第1章『大谷翔平は日本の伝統が生んだ賜物』から、拾ってみます。
日本人はよい習慣を大切にしてきた民族で、現在世界中で、よい習慣を最も実践しているのは日本人だと言うことです。時は明治以前まで遡りますが、明治時代の文明開化の影響を受ける前の日本人を、来日した欧米の知識人はどう観察していたのか。その一つに、カール・ツンベルク(1743~1828)の『江戸参府随行記』(平凡社東洋文庫)があります。 これによると、国民は大変に寛容でしかも善良である。やさしさや親切をもってすれば、国民を指導し動かすことも出来るが、脅迫や頑固さをもって動かすことは全く出来ないと書かれている。その結論から言えるのは、江戸時代の日本人も、今日の日本人も性格的には大きな違いはないと言うことです。したがって、大谷翔平選手の前向きで明るい性格は、長い日本の歴史が生んだものと言ってもいいでしょう。ですから、彼の素晴らしい人格を形成している習慣は、日本人のよい伝統の賜物と考えられる。少し絶対視が強すぎると、私は感じますが。 困った時に、周りの人のために頑張るのが日本人だし、大谷翔平選手は良い習慣の訓練で最適の場である家庭環境に恵まれた。全部の日本人が大谷翔平選手になれるわけではないが、大谷には両親や兄弟の振るまいが最高の教育であったと言うことです。1876(明治9)年に福沢諭吉が著した論文『家庭習慣の教えを諭す』に、両親の家庭における行動は、普段の勉強で学ぶことよりも、ずっと大きな影響を子どもに与えると説いているのです。 両親の背中を見て育った大谷、両親は謙虚で礼儀正しく、しかもスポーツマン。父親は陸上競技から野球選手、横浜の三菱重工横浜野球部で6年間、その後同じ職場で会った加代子さんと結婚し、第2子が出来たときに郷里のトヨタ自動車東日本に転職し、北上市の隣町奥州市(旧水沢市)に居を構え、大谷翔平選手はそこで誕生したのです。 母親の加代子さんもバトミントンスポーツ選手で、バトミントン部のある三菱重工横浜に就職し、実業団チームの一員として活躍、そこで父親の徹氏と職場結婚したのです。大谷は、この両親の存在なくしては考えられないほど、両親の影響を受けています。息子は母親の気性を受け継ぐと言いますが、確かに大谷の行動や考え方を見ていると、そのことを痛感させられます。 実際大谷は、母親から叱られたことはなかったと言っています。父親がチームのコーチや監督の立場であったことを考えると、この母親が彼を包み込むように温かく接したことに違いありません。そのお陰で、『明るく素直で前向きな人材』が育ったのだと思います。奥さん真美子さんも、顔かたちは母親加代子さんそっくりですね。第3/8は、大谷翔平選は『商売繁盛の基本』の実戦者。 |

