|
2025,10,04, Saturday
わが高松栗林ライオンズクラブが2013(平成25) 年4月、第50代矢野恵美子会長の年に『友好クラブ』として提携を交わした金沢兼六ライオンズクラブ。今日は結成60周年記念式典が、例会会場『ホテル金沢』で記念式典・講演会・祝宴が行われました。金沢兼六LCは今年6月まで、3人目のガバナーを輩出しキャビネットを構成していました。そのため一連のCN60周年記念イベントを1年間遅らせて、本日開催となっています。
金沢兼六ライオンズクラブは1964年6月23日、金沢東LCがスポンサーをして結成されました。金沢LCから金沢東、そして金沢兼六と広がっています。金沢で3番目、高松栗林ライオンズクラブも、高松→高松玉藻→高松栗林と3番目という理由で選ばれています。勿論公園つながりもありますが、似たもの同士の友好提携が、この時期流行ったのです。唯一違うのは、兼六は3人のガバナーを出していることです。 金沢は言わずと知れた日本有数の観光都市、都市としての人口は42万人と高松市41万人。面積は約467.77 km²と約375.41 km²、人口密度は約970人/km²と約1,093人/km²。クラブ会員数も36名と32名とよく似ていますが、外様加賀100万石と親藩高松12万石の違いですか、江戸徳川の公権力と抗ってきた加賀の人々の気風と親藩でぬくぬくと生きて来た高松人、香川県民性の違いとなっています。 公園などのハード面は、兼六公園も栗林公園も公共施設ですから似たり寄ったり。違うのは『民意』でしょうか。前回の記念講演で聞いた話ですが、金沢には9の大学専門学校があると言うのです。中には輪島塗の伝統工芸科という特異なものもありますが、総合大学、芸大学術等々絢爛です。とりわけ違うのは、いにしえからの文化を継承し、次世代の若者へ伝承しようという気概で、その象徴的な土地や人が『ひがし茶屋街』として残っています。 今晩もクラブメンバーの一人、大会長のL中村驍(たけし)が何と言っても中心人物、このお陰で今日も『ひがし八の福』へ揚げて貰いました。5年前も10年前にもここで、芸子さんと太鼓を叩きました。若い子もいます、金沢大学卒で今ここにいますという変わり種の美形もいます。今日もまた花名刺(はなめいし)を頂きました。ひがし佳丸(よしまる)さん、ひがし小梅さん、ひがし万琴(まこと)さん。 この人件費高騰の時代まで、芸所として芸者さんや芸子さんを雇用できる世界は、にわかに信じられませんが10年前来た時にも歓迎されています。こんな昔からのしきたりを今から作ることは出来ませんが、今できることは人材育成『香川県立大学』の創設です。池田豊人香川県知事が今熱心に打ち上げていますが、東讃の新設高校(石田・津田・志度高統合校)の新キャンバスなどいりません。どこかの高校の拡張で、なんとかなりそうです。 その資金を、新設大学の教育カリキュラムの充実にあてたらどうですか。旧県立体育館解体の10億円も必要ですかね。人に投じるべきです。自民党総裁に、高市早苗さんが決まりました。これまでと違うことが起きそうな予感がします。最後にどうしても書きとどめたいのは、金沢市長・村山卓さん。中央からの人材交流として高松に赴任して、栗林公園も熟知されていました。334-D地区ガナーは祝辞の中で「くりばやし公園」と発していましたが、これが普通です。 金沢市長選挙が来年3月に行われるようですが、村山卓氏の健闘を祈念しております。『うどんネクタイ』似合っていましたよ。金沢兼六ライオンズクラブ、改めておめでとうございます。同業のL武部守男と淳子夫人、着物も艶やかでした。高松栗林ライオンズクラブも、私ももう少し頑張ります。 title="6年前のメンバー"![]() |


title="6年前のメンバー"