高松商業高校時代に春夏2回甲子園に内野手として出場し、早稲田大学から河合楽器を経て、母校の高商野球部監督をされた岡田紀明兄前夜式が、高松市内藤塚町の葬儀会館で、キリスト教のしきたりで行われました。4年前に死去された妻トシ様の信仰されていたキリスト教式の告別式でした。岡田紀明先輩は満84歳の丁度誕生日に、神に召されたことになります。
高松商から早稲田大へ進学され、東京六大学野球でベストナインに選出されたと記録されています。社会人野球では河合楽器に入社後、選手監督として活躍しておられます。その後社会人時代に、昭和42年秋から44年新チームになるまで監督として2度甲子園へ出場していましす。昭和44年新チームより教員として母校に勤めた久保政道監督に、監督交代をしています。
その財産を受け継ぎ、昭和45年春夏連続出場、夏は大北敏博(元巨人軍)投手と細川安雄(元阪急)ら強力打線でベスト4まで快進撃をやってくれました。ある意味岡田紀明前監督の残された財産を、若い学卒の久保政道監督が近い世代の選手と花咲かしたと思います。私が在学時代の物語でありました。実に面白い時代でした。
野球部OBらには、「ノリさん」で親しまれ、晩年はNHK高松放送局の『野球解説者』として、野球王国復活の礎を築いた一人だったと思います。今日の前夜式(仏教界の通夜式)でも、NHKアナの中村信博(のぶひろ)氏が、『故人の思い出』を語っていました。私は直接話したことはありませんが、故若宮誠一元監督の次に賞賛されるレジェンドであります。
高商百周年記念誌には、「昭和43年夏第50回大会記念の大会にはミラクル投手吉田を擁して出場」と記載されています。また岡田紀明監督自身は、「不振が続く野球部を立て直し甲子園出場を夢見て心穏やかでない日々が続いたが、よい野球部員はよい学生であると結論づけてから、目的がはっきりしてきた。クラスメイトや先生方に認められ心から応援して貰える部員が揃い、キチンとした部活動をすることが、勝利への第一歩である。
勝つためには何をしてもよいというものではなく、試合の戦法や監督の采配だけで勝負が決するほど高校野球は甘くない。記念の九十周年に甲子園選抜へ出場出来たのも、役割を弁えた良きスタッフに恵まれた所産であると心から感謝しています。これからも時は移り変わり人は変わっても、高商野球部は王者なりの自覚を持ち続けて欲しい」と持論を書き残しておられます。
24日(木)10時30分から、告別式が予定されています。ご冥福をお祈りします。