1962(昭和37)年10月13日高松栗林ライオンズクラブは、高松玉藻LCのスポンサーでメンバー47名で結成され、翌1963(昭和38)年6月2日にチャターナイトを63名で行っています。あれから足かけ63年、当クラブは1500回目の記念例会を迎えました。特別記念例会には、池田豊人香川県知事を始め、姉妹クラブ(岡山後楽・高知黒潮ライオンズクラブ)・ブラザークラブ(4R4Z)から大勢の参加を頂戴しました。
本日の資料の中でチャーターナイトについての諸々が、チャーターメンバーL大住省司によって記載されていますが、『ナイト』と言いながら前日の1日土曜日にはゴルフ大会や観光が、当日も13時から式典が、14時半からパレード、15時から栗林公園と屋島に分かれてエクスカーションが、そして17時半から祝宴と今では想像もつかないほどの日程だったようです。当時は高松LCが1956年1月県内に誕生し、1960年に親クラブ高松玉藻LCが誕生し、栗林は高松市内で3番目ですが丸亀・観音寺と、燎原の火のようにライオンズクラブが誕生しています。
因みに高松栗林ライオンズクラブは国内480番目、地区順位25番目、高松では先に紹介したとおり3番目のクラブで、老舗の部類に入ると思います。チャーターナイトの来賓には、当時の金子正則香川県知事や国東照太高松市長や平井太郎高松商工会議所会頭、松村芳文高松ロータリークラブ会長から田中晟高松北警察署長らの名前があります。奉仕団体ですが、社交場でもあったようです。
当時はまだライオンズクラブも珍しかったのでしょうか、東京・大阪・京都・九州からもその地位の方が臨席されています。クラブ役員は会長にL山口武男、幹事L田村政、会計L松田茂、第三副会長L久米川久夫とあります。蛇足ですが私は、クラブ結成20周年の1983(昭和58)年1月入会、L樋端康民(樋端病院医院長)のスポンサーで入会が許されました。高校3年間クラブから奨学金を頂戴していたのがご縁でした。縁に誘われ、今日まで末席を汚しております。
最後に高松紫雲LCのみなさま、紫雲山ウオークに参加できずに申し訳ありませんでした。案内があるものと、不注意であります。南條久輝先輩、申し訳ありません。来年は私から確認し、L馬場基尚を押しのけて参ります。豚汁恋しいと1年間泣いております。