6年ぶりの同窓会でした。概ね72年間生きて来て、参加した十六名の日常を聞きながら、つらつら思うところがありました。昭和46年4月入学、明治大学政治経済学部経済学科1年8組の生き残り組であります。会の前に黙祷を捧げます。田口雅史君(元横浜在住)、小倉君の二人があの後鬼籍に入っています。栗川史雄君は、もう20年になるそうです。
話しを聞いていて一番に感じた言葉は、鹿児島県鹿屋から来ている波江野満君が自分の近況に続き「嫁さんの健康管理も大事」と良いことを言った。聞くと結婚が遅かった波江野満君だが、すでに奥さんを亡くしているそうだ。本人は言わないが、仙台から来た馬場正夫君も相らしい。ここまで夫婦無事は、クラス同窓会開催と同様に希有なことのようです。
多数の吐露の極めつけは、『今まさに離婚係争中』という猛者もいました。七十二歳前後の熟年離婚かと、私は驚いた。いろいろな生活があるが、ほとんどが「嫁より一日でも早く逝きたい」と願っている。われわれの世代は団塊の世代ほどではないにしろ、明大卒となるとみなそこそこの職に就いている。私のような、家業の麺職人になったという奴はいない。それでも私は転職をして40数年間不動産屋だが、愛知県知多半島で家業の瓦屋を継いだ石原順二君は50年間現役会長だ。
彼は銀行が許さないと言うが、それだけでもあるまい。私も彼の工場現場を見に行ったことがあるが、あれでは引退も出来まい。社葬でしまいするしかないだろう。在学中『優』のタイトルホルダーで、大手銀行へ行ったH君は3年前にパーキンソン病を患い、今日は参加したが早退した。北は北海道北見からの斎藤伸一郎君だが、夕張パート2と揶揄され町全体が大変らしい。南は鹿児島の波江野満君だが、四国からの私も遠来組に入るらしい。
十六人の考えを聞きながら、私はがんを患いながらもこうして元気に生きている。何と幸せなことか。今日は昼過ぎに新幹線で上京し、神田の薮蕎麦へ直行。先に北海道からの斎藤伸一郎君が、食べていた。似たことを考えるモノだ。ここから歩いて大学まで行く。坂が多い東京、大学周辺も年ごとに変わる。『山の上ホテル』を明治大学が昨年買収した。百五十周年記念行事として、リニューアルオープンするそうだ。50年前から一度は投宿してみたいと願い続けているのだが。
何度目になるか、作曲家阿久悠の記念館へも立ち寄った。リバティータワーのエスカレーターを降りるところに、学校へ寄付した学友の芳名板があります。昨年突然死された『香川明俊』先輩の名前もあります。秦野優君によれば、お嬢さんが明治に落ちて早稲田へ行ったらしい。時代は少しずつ変わっているのか。あと何回この同窓会があるやら、幹事の百田省平さん元気でお願いします。私にはこの『クラス同窓会』も、同じように『ゼミ同窓会』も続いています。ありがたいことです。
最後に、変わり種のネタ、今日は久しぶりに新幹線で来ました。帰りに寝台特急「サンライズ瀬戸」に乗るためです。ほぼ初めて、やはり寝台特急では眠れませんでした。トイレに四回、熟睡しないと尿が貯まり目が覚めるのを実感しました。これまた良い経験になりました。鉄道オタク曰く「寝台特急が走るのは四国と山陰だけ」、知らなかった。
朝方6時過ぎ、岡山駅で上下2ルートに分かれます。先頭車両群が瀬戸大橋を渡り高松へ、最後はこんぴら大芝居公演中の琴平まで行きます。後部車両群は山陰の出雲まで行くそうです。最後と言われるとこれも一つの誇りですが、東京駅発午後9時50分は、まだ通勤ラッシュです。東京と田舎の差を、こんな所でも感じました。