いつものようにテレビ体操をして、ホテルの朝食会場に向かいます。ありました『海軍カレー』、見つけました。もうこれだけで十分です。朝食後にバスは、安芸の宮島へ向かいます。大鳥居の立つ海と背後の弥山原始林や都市公園を包含する地域は、1996年12月7日に『厳島神社』としてUNESCOの世界遺産に登録され、その価値は全世界で共有されることになりました。
流石世界遺産、われわれは10時の定期便でしたが、帰る頃ですから14時頃でもわんさと人が宮島に渡ってきます。正月3日は、参拝客の最後尾が船着き場付近まで。大渋滞が起こったとして、島外の地元民は初詣を先の3連休あたりに参拝したようです。何とも不思議な宮島です。宮島の島に神が住むと昔から言われて、世界文化遺産『厳島神社』は、瀬戸内海の自然を代表する天然記念物『弥山原始林』を頂く宮島の島全体をご神体として、6世紀頃に創建されたと伝えられています。
1168年、平清盛は海上に浮かぶ寝殿造り様の社殿という独創的な神殿建築を完成させました。周囲の海や山と見事なまでに調和した厳島神社の美しさと、その多彩な歴史は他に類例を見ないものであります。ところが社殿から大鳥居を通したその先、つまり広島県廿日市市の丘陵地に不似合いの白い建物が建設されています。宗教団体の施設のようですが、何とも不釣り合いで、違和感を感じます。
違和感で綴るなら昨晩は、『豆匠』で夕食を頂きましたが、ここへの移動はタクシーでした。ここにも働き方改革が入り、ホテル到着でドライバーとガイドさんの仕事は完了。よき時代には、食事会場へもバス移動がありました。これなどは慣れてないだけで、正しい姿へようやく歩を進めたと見るべきでしょう。
ご案内のようにバスは、宮島口駐車場で乗客を降ろして駐車。ガイドさんもここまでで添乗員に委ねて、松大汽船(JRの船もあります)に乗船、降りたら昼食会場の社員さんがその後の案内役です。過去にもそうであったかと思うのですが、何だかガイドさんと別れて寂しいですね。宮島口付近の建物は、随分よくなっています。
さて厳島神社とその周辺ですが、名物の『もみじ饅頭』が進化しています。競争が多いのか、独自の味を求めてここは随分変わったようです。町並みには御土産店が、新しい『カフェ』スタイルの若者向けの店に変わっています。新陳代謝が起こるのは、ここのポテンシャル(可能性)が高いと言うことかと感じました。島民わずか1千余人、これで400万人の観光客を受け入れています。恐るべし厳島神社と平清盛、少しオーバーですか、そう言えば今日は気温13度。風もなくオーバーも要らない陽気でした。お粗末でした。