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特別名勝栗林公園薪能開園百五十周年プレイベント
平成13年以来、23年ぶりの開催になった特別名勝栗林公園での薪能(たきぎのう)。商工奨励館西側芝生広場に、檜御殿跡特設能舞台を設け、午前中からの雨模様の中、お昼に正式実施決定をして、舞台に降った雨を係員総出で掻き出しています。てっきり予備会場の『香川県県民ホール』での挙行と思いきや、主催者は栗林公園での上演にこだわり、雨天決行です。その為演目は大幅に変更し、予定していたモノは次回に、予定外の人間国宝座談会がありました。

薪能(たきぎのう)と謳いながら、雨天のために『火入れ式』も行われることがなかったのですが、途中から薪に火が入り、背景の紫雲山の黒と相まって、幻想的な世阿弥の世界を演出していました。これですね、演者側や香川県側もこだわっていたのは。主催は香川県と観光協会、後援に松平公益会がついています。提灯にも、『葵のご紋』が入っています。墓所の仏生山法然寺にも、沢山の『葵のご紋』を目にします。玉藻城と栗林公園、そして法然寺が三点セットです。

ここ栗林公園は、約四百年前、生駒家の治政の時代に築庭が始まり、その後、1642年入府した徳川御三家水戸藩の御連枝、高松松平家の初代藩主松平頼重(よりしげ)公に引き継がれ、歴代藩主が約百年かけて修築を重ね、1745年五代藩主徳川頼恭(よりたか)公の時に完成したと言われています。以来明治に至るまで高松松平家の下屋敷として社交や儀礼が行われ、歴史と文化が培われました。緑深い紫雲山を背景に六つの池と十三の築山を配し、『木石の雅趣』に優れた回遊式大名庭園として国内外から高い評価を得ています。

その檜御殿跡において、漆黒の紫雲山を背景に自然の黒松を鏡板とし、かがり火に照らされた中での薪能は、観るモノを『幽玄の世界』へと誘います。能楽堂やホールにはない『非日常的空間』を体現できる、まさに栗林公園ならではの「五感で楽しむ」芸術として、その魅力を国内外に発信しています。また人間国宝の茂山七五三(しげやましめ)先生、大倉源次郎先生をはじめ、シテ方の梅若紀彰(うめわかきしょう)先生ほか豪華な出演者が卓越した見事な芸をこの『栗林公園薪能』の舞台で表現されました。

特に『能八島』は、香川県の屋島における源平合戦が話しの演目で、瀬戸内海国立公園指定九十周年の記念すべき年にふさわしい演目であります。『能八島』は、源義経の化身が都から来た旅僧に、己の勇姿を語り、悪七兵衛景清との力比べを語り、義経を守り敵の矢を受けて死んだ佐藤継信(地元に墓があり)の話しなど詳細に語ります。源平合戦の折に、自分の弓を取り落とし弓の寸法から己が小兵であることを敵に悟らせないために、危険を冒してまで取り返した話しを聞くにつけ、旅僧は義経の霊が修羅道に落ちた今もなお、戦い続けている有り様を見て闘争の叫びを耳にします。

このような解説を聞くなり読むなりしたら、雨の中でもここ栗林公園で薪能をする決断しかなかったのでしょうね。地元出身者の『能楽師伶以野陽子(れいのようこ)』さんの凱旋公演でもありました。久しぶりにカッパの上下を着ましたが、ほこりがたたずに、結構な舞台でした。





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| 社長日記 | 10:58 AM | comments (0) | trackback (0) |
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