善通寺陸上自衛隊駐屯地体育館において6日、佐藤正久参議院議員の講演会がありました。演題は『我が国の安全保障環境について』、約90分に及ぶ体育館で聞く話にしては長いものでしたが、われわれ民間人は30人程度、大多数は制服組でした。「ひげの隊長」として、自衛隊が海外に出た当時の文字通り『隊長』でした。大リーグへ行った野茂投手のようなモノで、今では大リーガーは大谷翔平選手をはじめ日本人が多く活躍していますが、最初は何でも大変だったことでしょう。
見ていたように書いていますが、自衛隊への世間の風当たりが変わったのは1995(平成7)年1月17日早朝に発生した『神戸淡路大震災』からで、今からわずか30年前のことではなかったでしょうか。それまでの自衛隊は憲法違反だとか、アメリカ合衆国の言いなりになる日米安保の悪産物だとか、人間でないように言われて来ました。震災復興で自衛隊員の献身的活躍を多くの被災者と日本中のテレビ前の国民が、これを見て言うことが変わったと思います。
その後の東日本大震災や熊本・倉敷の大雨、最近では能登半島震災で自衛隊の活躍に多くの日本人が安堵しています。自衛隊は臨時復旧隊ですから、1次被害が落ち着けば直ちに撤退します。別れを惜しむ国民が最近は多くて、涙なくして見ておれないシーンが拡大放映されます。佐藤正久さんは、第7普通科連隊の長や福知山駐屯地の司令を務めました。
2004(平成16)年イラク先遣隊の初代隊長として、イラク復興業務支援に従事。ゴラン高原派遣輸送隊の初代隊長としても活躍されました。また陸上自衛隊幹部学校では、主任教官として指導されていました。佐藤正久さんは、国内外での経験を活かして、政治家としても活発に活動されています。彼の「ヒゲの隊長」としての愛称は、そのリーダーシップと献身的な働きぶりから生まれたもので、多くの人々に親しまれています。
大半が自衛官に聞かす内容でしたから、隊長(リーダー)のあり方について前半は自らの体験の、現状の話しが後半続きました。防衛費が拡大していく国家予算の中で、食事費や装備費など隊員が身近に感じる話しの内容でした。私は尖閣諸島など中国との熱い戦いの内容を期待したのですが、このあたりは国家秘密に該当し、お互いに触れたがりません。当然のことであります。
最後まで隊員には、誇りを持って厳しい訓練に耐えて下さいと訴えていました。訓練は決して裏切らない。「ひげの隊長」こと佐藤正久参議院議員は、貴重な存在です。次が選挙ですかね、「ひげの隊長」と投票用紙に書かないで下さい。私がこのことを言ったら、しっかりうなずいていました。『佐藤正久』と正しく書きましょう。