2024,09,02, Monday
毎週月曜日の朝、屋島登山に出かけています。私に参加のお声がけを頂いたリーダーの香西昇氏が、体調を壊して戦列を離れていたのですが、本日久しぶりに一部参加、その後の祝賀会(単なる昼食だけ)でいつもの『キリン』へうどんを食べに行きました。リーダーの復活で、暑くて大変なところですが、なんだか元気が出てきました。
私は香西氏から教えられた登攀コースを、タダひたすら上るのですが、それでもわずか200m程度の上りで、1週間に2度登れば平均値と聞いて、気の遠くなる思いましました。今時は熱中症ですから「クラクラ」するところです。夏のピークが過ぎて、この時期が体には堪えます。ピーク前までは、何とか頑張って乗り越えようと体も気力も戦っていますが、ピークを過ぎると少し安心し逆に体は疲労の蓄積もあり、どっと疲れがでます。残暑見舞いは、理にかなっています。 今日の屋島山上は新学期が始まったことも相まって、人影がまばらです。われわれには静かで良いのですが、何だか「強者たちの夢のあと」的な感じがします。屋島は日本で初めて国立公園が出来た、『瀬戸内海国立公園』の中心をなす存在です。鎌倉時代到来の前、源氏が勢力を拡大し平家が落ち延びてここ屋島の壇ノ浦で最終決戦をします。勿論決戦に挑むのは追う源氏で、平家はまさかここまで源氏が追ってくることは無いと一安心していたところでした。 高松市内海に面している朝日町には、『平家物語資料館』(正式名所は忘れました)があり、源義経が山を駆け下りるシーンを蝋人形で作った館がありました。今から20年も前の話ですが、絵になるくらい象徴的なシーンの一つです。もう一つ那須与一の弓も有名で、『駒立ての石』として与一が的を狙ったときに馬を留めた石が今も残されています。 話しが随分それてしまいましたが、そんな一時荒れ果てた屋島を高松市が必死に復元しています。栄華を極めた山上の観光ホテルは荒れ果て、解体もままならず無残な面影を晒しています。まさに「おぼれる者」の象徴です。リーダーの完全復帰が待たれますが、慌てること無く、マイペースで帰ってきてください。さあ又一つ、楽しみが増えました。 |