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本人が持参された田村日出男随想録
4月14日(木)の午後、突然田村日出男様が来社された。奥様運転の若者車の助手席に座るようで、米寿が過ぎたと言いながらお元気です。ご子息の田村正之さんが、父親の米寿の記念に限定出版されたモノです。バーコードがついていないので、一般的な本とは言わないのかもしれない。日本経済新聞社に勤務されている正之さんが、知らないわけはない。あくまでも父親(日出男様)の生きた記録の一遍として、活字にされたモノでしょう。

田村日出男様は、明治10年創業『宗家くつわ堂』(㈱宗家久つ和堂)の第六代当主。弊社オリジナルの『顔せんべい』を、社長の頃より長く作ってくれています。元はライオンズクラブの関係で、『くつわ堂総本店(分家)』ではじめたモノを、トラブルの末に引き継いで頂いたのです。香川県中小企業家同友会でのご縁です。それから20年くらい続いていますか、いまだに『詫び行脚』に使っています。見た人が、相好を崩します。

全142項ですから、比較的読みやすい装丁です。読み進めていると、『追悼 萩森宏一(はぎのもりこういち)君』がありました。平成29年5月3日に旅だってしまった、と書かれています。高松高校で同級、萩森宏一氏は徳島大学医学部を卒業されて、高松赤十字病院に転じ、副院長・整形外科医長で定年を迎えた。当時は私と同じ、高松栗林ライオンズクラブのメンバーでした。

萩森宏一先生を、私も尊敬していました。もう30年ほど前になりますが次男がハチ北ゲレンデ(兵庫県)で骨折し、現地で手当ての後そのまま高松赤十字病院に運んで、萩森宏一先生の世話になりました。「泊まっていくか」と言われたのですが翌朝は元旦、流石に遅く長男次男をつれて帰宅しました。随想録に、日赤を退職されてから、老人介護施設『渡りの郷』の施設長として勤務したとありましたが、ライオンズクラブを退会されて疎遠になってしまいました。

79ページからは、慶事が綴られています。2016年秋、田村日出男様は旭日双光章を受賞され、翌年の記念祝賀会では、発起人の一人として私の名前があり、大変驚きました。この時が長男の田村正之さんとお目にかかった最初かと思います。正之様の出版物は、そのたびに御尊父から贈呈され、専門書はもとより小説までも頂戴しました。最初の作品は、馬鹿な私は酷評し、御尊父には大変失礼なことをしました。

ところが小説第2作目は、これは秀逸作品でした。勿論この感想も、田村日出男様にお送りしました。経済専門書の類いは、微に入り細に入り解説が具体的で、非常に分かりやすいモノです。そのほとんどを、無料で拝読しています。そうそう4月10日の週だったか、テレビ東京の朝番組『モーニングサテライト』にコメンテーターとして、自宅からリモート出演されていました。

時には東京有楽町で、田村親子さんにばったり出会ったり、私にはかけがえのない縁者であります。老舗菓子舗の跡継ぎ論争など、親子の葛藤はこれまでも多くあったと思いますが、日本経済新聞記者として活躍する田村正之さんに、『宗家くつわ堂』を継ぐことは叶うまい。現川崎照夫社長にエールを贈ることが、くつわ堂をこよなく愛する『ヘビーユーザー』の務めのように思います。



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| 社長日記 | 08:51 AM | comments (0) | trackback (0) |
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