還暦は数え61歳(≒満60歳)だが古希は数え70歳(≒満69歳)。古希は今昔、長寿と考えられている。色は喜寿と同じ紫色。そうか私は満70歳が古希だと考えていましたが、正確には昨年69歳が古希の祝いだったようです。しかし私にはそんなの関係ない、本日は朝から先祖まつりを、夜は少人数の誕生会で祝ってもらいました。
多くを語らず大過なく、ここまで生きて来られたことに感謝です。丈夫な身体(福沢諭吉に言わせば、さらにこれに加うるに土百姓の身体を以てして、はじめて実業社会の大人たるべし)に、両親やかみさんのお陰です。病気・けが等の入院手術も何度かありましたが、生命の危機はこれまでになく、昨年の入院で検査も程なく終わり、現在は健康体であります。
私はバランス感覚がこの世で生きていく処方箋だと考えていて、まずは身体。長生きしてもよれよれで、ましてや寝たきりでは値打ちがありません。『ぴんぴんしゃんしゃん』で、眠るように彼岸に渡ることが唯一の望みです。そのため毎朝歩き(室内のルームランナーですが)、軽く筋トレをやって、体組計測定をもう10年くらい続けています。アルコール飲酒を癌発症を機にやめたら、血圧も下がりました。
本日の高松の自室は、室温17度湿度45%。もう寒さは峠を越えていて、快適であります。これからすぐに暑くなって、春秋がなくなりつつあります。機械装置で40分ほど歩きました。これで5,200歩ほど稼げて、一日の総数は8,500歩が目標です。新型コロナウィルスの感染拡大に伴い電車に乗らなくなって、この自らのノルマも達成に文字通り汗をかいています。
軽めの筋トレが終わり、ここまでが約1時間。隣室の仏壇に灯明をあげ、線香を焚きます。「なんまんなんまんありがとう」を10回、最後に1回「なんまんなんまんありがとうございます」で頭を垂れます。ならば10回そうすればとも思うのですが、暫くこのスタイルでやっています。そして蝋燭を消す前に、母の遺影に向かって「ありがとうございます」。祭壇の献花とご飯さんは、毎日かみさんがやってくれています。この仏壇は祖母『ミツヱ』が30年前、元気なときに大枚をはたいて買ってくれたモノです。わが家唯一の家宝です。
誕生日イベントとしては、このあたりで平木享県議から祝電があります。橋本浩之高松市議や大勢の方から、SNS(交流サイト)メールが入って来ます。まさに今風ですね。皆さまに感謝です。昼からになりましたが、墓参りもしました。これは誕生日に限らず、イベントごとに、それも気づけばの話しです。ノルマになると負担に感じます。墓は10年前に、長男が整備してくれました。
夜は次男がすき焼きを食べに来るというので、かみさんが段取りしてくれています。次男の会社で手薄になる日は電話番を、それ以外では経営する民泊のリネン交換などにかみさんは出向いています。他人に比べ、「自分にはぽんぽん言う」と愚痴を並べています。経営者は身内には厳しく、他人には優しいモノです。
思いがけず次男には、百笑がついて来ました。母親から頻繁に『みてね』が来て、成長度合いは把握していましたが、『リアルももえ』は重くなっていました。ピカピカの幼稚園児であります。4歳を前にして、少し遠慮というか『しける』ようになりました。もう一つ、『トイレ』を言うようになりました。成長しているのですね、ありがとうございます。