歴史に残る日本における大災害の一つ、東日本大震災から11年になりました。遺族らは、午後2時46分の地震発生時刻に合わせて黙祷をした。いや日本全国で、黙祷が続いた。犠牲者に鎮魂の祈りをささげ、誰しもが2度とこんな悲惨な惨状を繰り返すまいと誓った。さらに今でも、東京電力福島第一原子力発電所事故などにより、全国で約3万8千人もの人が避難生活を続けている。
私は津波発生後1カ月経過した頃に、石巻市に入りました。小欄でよく登場する被災者の宮本嘉二さんに会うため、JR石巻駅頭に降り立ちました。勿論JR仙石線の運行はなく、仙台からバスで入りました。有りがたいことに宮本家関係者に人的被害はなく、おばあさんもお元気でした。近くにいた娘と嫁が、別々に駆けつけ助け出したと聞いています。
私の同級生の宮本嘉二さんは、水産会社の大型冷蔵庫の上で2日ほどやり過ごし、3日目に帰宅出来たと話していたというのは、小欄でも何度か掲載しました。彼は水産業です。国の支援もあり、比較的早く操業を開始していました。石巻や宮城県、三陸海岸沿いの街のことは私が心配したとしてもせんないことで、心配する宮本家はいろいろな困難を克服して、彼も70歳の大坂を前にして現役をやり続けています。
偶然ですが本日、『JA香川仏生山支店』で記念の普通口座を一つ作りました。この周辺にある金融機関の中で、盲点みたいに口座がなかったのが『JA香川』、つまり農協の口座でした。仏生山支店へ出向くと、そこにいたのは『十河寛敬』、『川並豊』さんの2人。加えて後に、平澤 弘さんも入ってきました。「ナンダなんだ、みなさんこんなに使っているのかのうきょうを」、驚きました。仏生山支店は、多肥支店に吸収されるとか。龍雲地区の代表の座から、農協仏生山支店か転げ落ちた。
そこに『全国農業新聞』がありました。なるほど他ではまず目にすることがない全国紙。その中に福島県の双葉町と楢葉町で、農業に取り組む住民の記事が大きく掲載されていました。正気かと思うような大型耕耘機を新たに購入して、除染された耕地を耕し、新しい農業に挑むという。多くの人が帰宅困難地域にあって帰ることも出来ず、やっと住むことの社会実験が出来はじめた今、これほどまでの投資をして挑戦をする人はいないはずだが。
被災地の漁業は、どうにか飯が食っていける見通しがついたと私は考えている。次は農業牧畜・畜産と広がっていきそうだが、『風評被害』も根強く残っている。特に若い人は自分たちや、ましてや子どもたちの健康を第一に心配する。地震から津波までならこれほどまでに復興に時間がかからなかったモノの、『放射能汚染』という災害に人々は今なお苦しんでいる。
今日の私の結論は、「まだまだ時間がかかる」としか言えない無力感。起きてしまったことは反省しても、くじけず前へ向いて進むしかないが、ロシアのウクライナ侵攻、特に原子力発電所の占拠などは人間のやる行為ではない。ロシアにも『ロシア正教』があるだろう。何としてもこのロシアプーチンの愚行を止めなければ、ウクライナだけではなくヨーロッパ、世界が滅亡する。
村岡桃佳(25)選手が、北京冬季パラリンピックで3つ目の金メダルを獲った。頑張っている。香川県下の新型コロナウィルス陽性者、428件(10日検査)。なぜかしら、400をキープしている。もうすぐ春なのに。