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昭和の男・石原慎太郎さん89歳が死去
首相を目指して成し遂げられなかった政治家、否、芥川賞作家の石原慎太郎と呼ぶべきか。いずれにしても日本の敗戦を見て、戦後復興の日本の勢いの中に身を置いて、タカ派の政治家として日本を憂いていつも悩んでいた後期高齢者。『暴走老人』と田中眞紀子が名付けたと言うが、どうだろうか晩年は晩節をけがしたようにも見える。人の一生で、この人ぐらい『見える化』した人はいないのではないか。

一橋大学在学中の1956(昭和31)年に、小説『太陽の季節』で第34回芥川賞を受賞。映画化に際して、実弟の故石原裕次郎さんを主役とすることを条件としたと言われている。昭和の大スター石原裕次郎を世に出したのも、兄石原慎太郎ということになる。昭和30年の年末には『神武景気』と形容され、『テレビ・電気洗濯機・電気冷蔵庫』が三種の神器として国民垂涎の的となった頃。昭和31年7月経済企画庁(現内閣府)からの経済白書で、『もはや戦後ではない』と発表されたあの時代。

強運の男だと思う。処女作が芥川賞受賞で、その後は書けば売れた。そのまま作家生活でも良かったと思うが、35歳の頃1968(昭和43)年参院選全国区に自民党から立候補し、300万票超を集めてトップ当選。1972(昭和47)年衆院にくら替えし、環境庁長官や運輸相を努めた。首相の座を狙っていたと私は思う。トップにならないと、政治は動かないと考えたのだろう。1989(平成元)年、宇野宗佑内閣の体たらくを目にして総理戦に立候補し、海部俊樹氏に圧倒的差で敗れた。

その後、自民党内タカ派政策集団『青嵐会』を結成し、中核を担った。95年、在職25年表彰当日に壇上で議員辞職を表明して国会議事堂を後にした。圧巻はその後に就任した東京都知事、99年の選挙で初当選。還暦を超えての立候補だった。前知事青島幸男が後継者として指名した鳩山邦夫を破り初当選し、その後13年余都知事として日本の首都のトップに君臨した。

この間に多くの成功と失敗が交差する行政手腕だったが、登庁は週一程度で、「後は任せた」として行政マンには人望があった知事だったと言われている。アイデアマンであって、極めつけは、沖縄県尖閣諸島の購入問題。東京都が購入するとして所有者と交渉していたが、最終的には2012(平成24)年9月当時の民主党野田佳彦首相(55)が国有化し、現在も中国と争うきっかけをつくった。日本人として領土保全は当たり前、そのきっかけを作ってくれたのが石原慎太郎元東京都知事だった。日本人がある意味覚醒した。

都知事在任中に『新銀行東京』設立などの失政もあったと思うが、やってみなければ分からなかったこと。果敢に取り組んだ石原知事の英断に、『あっぱれ』です。最後は作家として、最後の短編集を書いたと言う。是非読んでみたい。偉大な先人を無くしたと残念です。私は、『昭和の男』の死去としてみています。好き嫌いで言えば好きなタイプでは決してないのですが、月並みですが一世を風靡した男ではあったと思います。冥福をお祈りします。


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| 社長日記 | 09:57 AM | comments (0) | trackback (0) |
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