弥生人(1800年前)の脳が残っていたことで知られる青谷上寺地遺跡(鳥取市)の男性頭蓋骨の復元が完成し、鳥取市が10月30日、同市で開催されたシンポジウムで公開した。青谷上寺地遺跡(あおやかみじちいせき)は、鳥取県鳥取市青谷町青谷にある、弥生時代の集落遺跡。国道青谷羽合道路及び鳥取県道274号青谷停車場井手線の建設にともない、1998年(平成10年)度から3年3か月の期間をかけて、遺構面の面積で延べ約55,000平方メートル(約1万6千坪)が発掘調査された。
典型的な低湿地遺跡で、弥生人の脳をはじめとする多彩な遺物が出土したことから、「弥生の地下博物館」とも呼ばれている。 2008年(平成20年)に国の史跡に指定された。海でもそうだが、地中に埋まった状態の物質は人体もそうだが、腐敗が進まず残ることが証明されている。昨今のようにDNA研究が進んだ現場から出土した有機遺物は、特に貴重な歴史的遺産と言える。
頭蓋骨は2000(平成12)年に出土、大脳が残っていた。30~40代の男性で、DNA型分析により、髪の毛が太く、父親は縄文系、母親は渡来系だったことが分かっている。およそ1.5キロメートル四方の青谷平野の中央部に位置し、当時の地形の高低を利用した遺構が残されている。遺物は膨大な数の土器以外に、鉄器・青銅器・木器・石器・骨角器など多彩で、後述の遺物も合わせ弥生時代の情報量の多さは特筆される。
遺跡の東側の溝では、弥生時代後期の100人分を超える約5,300点の人骨が見つかったが、うち110点に殺傷痕が見られた。また2点に、脊椎カリエスによる病変が確認された。これは日本における、最古の結核症例である。また日本で初めて、弥生人の脳が3人分発見された。
発掘された弥生時代後期とみられる人骨について、県が国立科学博物館や国立歴史民俗博物館が分析した父系結果、4点のうち2点はハプログループC1a1 (Y染色体)であった(縄文系)。120センチメートルほどのモミ製の盾から、緑色顔料(緑土)が確認された。これは東アジア最古の緑土の使用例である。同時に、35点もの糞石が出土した。これは、弥生時代の糞石としては最も多い。ちなみに同じ低湿地遺跡である唐古・鍵遺跡では、1点のみの出土にとどまる。
一方、金沢市で見つかった約1500年前の古墳時代の人骨のDNA解析から、縄文人や弥生人にはなく、現代日本人に見られる東アジア人特有の遺伝的な特徴が見つかった。日本人のルーツは、土着の縄文人と大陸から渡来した弥生人の混血説が有力だが、さらに大陸からの渡来が進んだ古墳時代になって『古墳人』が登場したことで、現代につながる祖先集団が初めて誕生したことを示唆している。
金沢大や鳥取大などの国際研究チームが18日、米科学誌サイエンス・アドバンシズに発表する。時代と共に研究が充実し、『日本人』のルーツが解析される。知りたいような知りたくないような、幾分複雑な気持ちになりますが、やはり真実は科学で証明されると思います。