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沖縄戦没者追悼式76年目の慰霊の日
76年前のこの日、沖縄における旧日本軍による組織的戦闘が終わった『慰霊の日』として、最後の激戦地、糸満市摩文仁の平和記念公園で、沖縄全戦没者追悼式(沖縄県など主催)が営まれた。新型コロナウィルスの緊急事態宣言下で、菅義偉首相の招待は昨年の安倍晋三前首相に続き見送られた。首相は、事前に収録したビデオメッセージを送った。ここでも菅義偉首相のコメントは、的を外したモノでした。

玉城デニー知事は平和宣言で、沖縄が来年5月で本土復帰50年の節目であると指摘。米軍普天間飛行場(宜野湾市)の、名護市辺野古移転が唯一の解決策と考えず、県を含む協議の場を設けるよう日米両政府に要望した。歴代知事は、沖縄の基地を減らせと訴えている。私も建設環境の悪い辺野古移転など、無駄なパフォーマンスは辞めたら良いと思う。沖縄の港は西岸に集中していて、東岸には小さな漁港を除いて歴史的に存在しない。

太平洋戦争末期の沖縄戦で、犠牲となった20万人余の英霊に、私も正午から黙祷を捧げた。テレビ中継は、大雨の会場を写しだしていたが、雨ならぬ鉄砲の弾がこのあたりにも降り注いだと聞いています。日本本土決戦の前哨戦として、地政学的に沖縄が攻撃された。これを機に、日本全国に戦渦が拡がる。私は戦争を知らないが、沖縄には深い愛着と尊敬の念を感じる。

昭和47年5月15日、戦後27年で沖縄返還がかなった。46年4月沖縄からの学生は、自己紹介で「パスポートを持って東京に来ている」と自虐的に話していた。はしゃいでいたクラスルームの雰囲気が萎んで、とっても悲しくなった記憶があります。その後私は、暫くして鹿児島から船で沖縄へ渡った。もう二度と船で行くことはあるまいと。

今年は新型コロナウィルスの感染拡大に伴い、緊急事態宣言が沖縄に出されたままで、参列者も例年の5千人から昨年の160人に続き、遺族ら36人に大幅に縮小。返還から50年経過した今も、沖縄は唯一被害者として苦しんでいる。今の新型コロナウィルスも、ある意味戦禍。5月の連休に、内地から新型コロナウィルスが持ち込まれたと言われている。うちなの多くが、沖縄大好きなのだろう。

今も昔も、逃げようがない沖縄。そこには『琉球王国』と『邪馬台国』があったという。そんな大昔のことより身近な知人として、那覇市・小橋川共順氏、浦添市・嘉陽進氏・新里仁美氏、沖縄市・新垣直彦氏、宮古市・西里長治氏・佐和田功氏、石垣市・佐久川剛氏らが今日も元気で暮らしている。沖縄に幸多かれ。


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| 社長日記 | 09:34 AM | comments (0) | trackback (0) |
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