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3.11東日本大震災から10年 シリーズ8『映画FUKUSHIMA50』
東日本大震災から10年、新聞特集のように特別扱いをするわけではありませんが、この私設シリーズで、私なりに東日本大震災を総括しています。『地震・津波・原発事故』の三重苦に、昨今は新型コロナウィルスの感染拡大に伴い、廃炉現場でも四重苦が重く立ちはだかる。地震・津波は昔から日本に多くある災害で、仕方がないと言ってしまえばそれまでのこと。しかし原発事故は、明らかに現代人が引き起こした人災。追って小欄に書きたいと思っている、『新型コロナウィルス』までもが人災かもしれない。

未曾有の大災害・東日本大震災で起こった福島第一原発事故。その対応に当たった職員を描いたヒューマンドラマが『FUKUSHIMA50(ふくしまフィフティ)』。ノンフィクション作家・門田隆将が、事件の当事者たちに取材を試みた『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発』を原作に、『空母いぶき』『沈まぬ太陽』で知られる若松節朗が監督を務めた。

2011年3月11日午後2時46分に発生し、マグニチュード9.0、最大震度7という、日本の観測史上最大の地震となった東日本大震災時の福島第一原発事故を描く物語。想像を超える被害をもたらした原発事故の現場:福島第一原子力発電所に残った地元福島出身の名もなき作業員たちは、世界のメディアから “FUKUSHIMA50”(フクシマ フィフティ)と呼ばれた。

世界中が注目した現場では、何が起きていたのか。何が真実なのか。浮き彫りになる人間の強さと弱さ。東日本壊滅の危機が迫る中、死を覚悟して発電所内に残った職員たちの知られざる“真実”が、遂に明らかになる。東日本大震災から、丸10年を迎える2021年。改めてFUKUSHIMA50を観ながら当時のことを振り返って、忘れないでいることは非常に重要であると感じます。

それと同時に、映画だからこそ伝えられる迫力や緊迫感は当時の事故を知らなかった人でも胸に迫るものがあるはずです。「命懸けで戦った人たちがいた事を知れただけでも観て良かった」「映画にして伝えることは大事だと思った」などFUKUSHIMA50を観ることで、当時の事故では何が起こっているのかを知ったり、映画そのものの意義を感じる人が多くいるはずです。私もその一人です。

タイトルにもなっている「FUKUSHIMA50」は、果敢に業務を全うした職員50人という意味で、もともとは海外のメディアが名付けました。反面混乱した現場に、強引に闖入した当時の菅直人首相(いらかん)を演じる役者さんが象徴する日本国政府と、現場が全く分かっていない東京電力本店。根底には『日本の原子力発電所では、メルトダウンなどの重大事故はおきない』という神話が作り上げられていた。

映画のエンディングメッセージに、「10メートルを超える津波などあり得ない」との独白があるが、自然の猛威はヒトの想定をはるかに超えることがある。『慢心』が引き起こした今世紀最悪の原子力発電所事故。後世に語り継ぐことは勿論のこと、まだ終わったことではありません。この事故からドイツなどEU(欧州連合)諸国は、原発の廃止を始めました。日本でも直ちに廃炉が好ましいのだが、緩やかな廃炉でなければその莫大な費用が稼ぎ出せない。

『はずがない』ことばかりが現実問題化する現場。現場作業員は何としてもこの現実を、最少限度の災害に抑えようとする。『電源喪失』という、あり得ないことが起こった。今の新型コロナウィルス感染拡大防止対策も、これと同じように暗礁に乗り上げた感がある。緊急事態宣言が続く中でも、人は春の陽気につかの間の癒やしを求めて外出する。もはや政府や小池百合子東京都知事の言う、「STAY HOME」を意に介さなくなっている。

この先廃炉に、100年かかるかもしれない。まず押し迫った『汚染水処理』をどうするか。菅政権は、苦しい判断をせざるを得ないときがくるだろう。政権は先送りすることが常套手段だが、すべての国難がもはや先送りは出来ない状況にある。すべてを自分事と捉えて、考えなければならないのだろう。

人災をあざ笑うように、東京のさくらの開花が発表された。一番早い開花宣言だと聞くが、過去は私の誕生日(4月初旬)頃に咲き始め、東北や北海道は連休中が常識だった。僅か1度の気温上昇だと言うが、自然界はこの1度で雲泥の差を表出している。北海道で稲作が出来るようになったのはプラス現象だが、三陸沖のサンマ不漁などそのほとんどがマイナス現象になっている。自分に、何が出来るのだろう。



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| 社長日記 | 09:15 AM | comments (0) | trackback (0) |
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