2021,03,08, Monday
被災地と縁のなかったNGO(国際協力に携わる非政府組織)の『オイスカ(Organization(機構)・Industrial(産業)・Spiritual(精神)・Cultural(文化)・Advancement-International(国際貢献))』が手を挙げ、地元農民や市民ボランティアなどと役割を分担し、苗の植え付けまでを終えた。3.11東日本大震災の津波で失われた広大な宮城県名取市の海岸林が、再生しつつある。震災から10年。地域での幅広い連携が、通常の公共事業と異なる再生モデルを作り出している。
令和3年3月8日(月)の日経新聞の39面に、宮城県名取市の海岸林再生計画が大きく報道されている。オイスカの海岸林再生の担当部長、吉田俊通さん(51)は、2011(平成23)年3月地震からわずか2日後の3月13日、海岸林再生への一歩を踏み出した。企業などの寄付を受け付けて行うNGOの事業として早期の着工が重要と考え、林野庁東北森林管理局の知人に連絡した。 被災者にとっては、松林再生など遠い先の話だった。津波でなぎ倒されたマツはがれきと化し、家やビニールハウスを破壊した。松林周辺の畑も塩害で使えない。11年5月吉田さんたちがプロジェクトの説明で名取に来た時は、まだ避難生活で枯れ木処理に追われていた。オイスカが、何をしている団体かも知らない。『明日の生活も分からない中、聞く耳を持たない人も多かった』。 一方では松林の役割も徐々に分かってきた。オホーツク海からの冷風『やませ』や潮風から田畑を守っていた。鳥や、小動物をはじめとした多様な生態系も再生した。10年前は多くが倒されたが、盛土をして根を深く張ればクロマツは防潮林に適している。『失っていろいろ分かった。昔のように雇用を生む場所にしたい』。 仙台空港に近い南北5km、幅約200mの沿岸部にクロマツ37万本が群生する。6年前に植え付けたエリアは、早くも5~6メートルに成長し密集している。オイスカは名取の海岸林再生事業を国などから請負(無償)、市民や企業からの寄付金約8億円を事業資金として進めてきた。100ヘクタールに及ぶ植林事業を、NGO(国際協力に携わる非政府組織)が単独で請け負うのは極めて異例だ。 震災からほぼ1年の2012年2月末、『名取市海岸林再生の会』が結成され、空港近くで駐車場を経営する鈴木英二さん(79)が会長に就任した。鈴木さんは、当初からオイスカの活動に好意的であった。『再生の会』の農家が育てた苗木はオイスカが購入し、農家に収入をもたらす。植え付けは地元森林組合に委託し、ゴミ拾いや草取り、排水路などの環境整備はボランティアが担当。 ボランティアは『宮城県内から4割、関西から2割、定期的にやってくる』(吉田さん)といい、これまで延べ1万2000人が参加した。香川県立高松北高校生30人も、ボランティア活動に昨年11月参加している。詳細は、『松がつなぐあした震災10年海岸林再生の記録by小林省太』に詳しい。 過去のネタ |