高商野球部後援会の真鍋健彦会長から、愛媛新聞の関連先である、『愛媛のスポーツマガジンEdge(エッジ)』の記事を頂きました。早速拝見すると、松山商業の復活を願いながら、戦前からライバル関係にある高松商業の『今』を多田良介記者が、長尾健司監督にフォーカスしながら紹介しています。本人に聞くと、高商の練習を取材して、長尾健司監督や高商倶楽部の山口富士雄さんにも談話をもらったと話していました。
私も『古豪復活』となると、松山商業の復活を思い浮かべます。高商は2014(平成26)年春、中学と高校の人事交流という名目で、香川大学付属坂出中学校の教員だった長尾健司氏を招聘した。しかしその実態は高商が招いたと言うより、香川の野球復活を願う県民や県教育委員会の人しれない長期計画があったと細松英正元教育委員長から直接、高松空港ビル役員室で伺った。
長尾健司監督の就任には、OBからも反対の声があったと聞く。そればかりか、選手や父兄会からも「中学校の教員に何が出来るんじゃ」と大バッシング。それでも2年目に、早くも結果が出た。態度は良くないが、能力の高い選手も揃っていた。細松英正元教育委員長も『長尾よ、5年が勝負だ』と、短期改善しか勝機がないと長尾健司監督を押し出したようだ。
秋季四国地区高校野球大会で頂点に立つと、明治神宮大会でも大阪桐蔭(大阪)や、敦賀気比(福井)などの強豪を撃破して初優勝を果たす。そして選手のストッキングに、ブルーの新たなラインが入った。全国優勝の証として、ストッキングにラインが入るのが高商の伝統です。幸せ者の私は、この大会のすべてを観ました。選手の宿泊先が偶然にも品川プリンスホテルだったこともあって、情報も漏れ伝わってきました。
そして20年ぶりに甲子園に戻った翌春の選抜大会では、1回戦でいなべ総合(三重)を苦戦の末の延長10回7-6で下して勢いに乗ると、実に55年ぶりに決勝進出。智辯学園(奈良)に1-2で惜敗するも、準優勝を飾った。多田良介記者は、『長い低迷を打ち破る快進撃に、OBたちは涙を流して喜んだ』と横で見ていたように書いている。
決勝戦まで進んだのは奇跡だったが、あの試合は『勝てた』と今でも残念無念。悲喜こもごもが高校野球の醍醐味だ、勝つこともあれば負けることもある。この記事の中で、共同生活で培う一体感『さくら寮』の日常として、『松山商業高同窓会館さくら寮』が取り上げられている。私の福岡の甥っ子は、今春、埼玉の私立高校野球部へ入る。『ノブヒロの高商には、学生寮がないばい』と言われた。悔しい、生活の場なら仏生山町にあるが。
毎年生徒が入れ変わる中で、『常勝チーム』を作ることは大変なことだと思う。経営でたとえると、経営者の考えを全従業員が理解し、肚に落として実践する。一人一人が目標に向かって邁進して、はじめて結果が出る。リーダーの考えを理解する程度ではモノにならない。公立高校は私立高校と比べて、確かにハンディキャップがある。出来ることは、OBなどわれわれが、幾らかでも環境整備をすることだろう。
松山商業の復活は、香川県人とて願うことだ。更に言うなら、『四国に四商あり(高松商・松山商・徳島商・高知商)』。4商の復活となると夢のまた夢かもしれないが、松山商は大野監督にかわり、県大会でも良いところまで勝ち上がるようになり始めた。聖カタリナに負けたようだが、面白くなり始めている。さあいよいよ春、球春がやってくる。