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雲仙普賢岳火砕流から30年報道被災車両の掘り出し展示へ
長崎県の雲仙普賢岳火砕流で、消防団員や警察官、報道関係者ら43人が犠牲になった1991(平成3)年6月3日から30年となるのを前に、報道陣らが取材拠点としていた島原市の『定点』付近で、火山灰などに埋もれていたタクシーや取材車両計3台が9日までに掘り出された。前年10月NHKテレビが、『土地神話が崩れる』を3連夜放映していた。バブル経済が過熱していた頃だが、山まで熱くなった訳です。

地元の町内会でつくる協議会が、犠牲者を追悼する『被災遺構』として定点周辺を整備することを企画。3月下旬の完成を目指しており、車両は台座に乗せ、被災状況を説明する看板や石碑と共に展示する予定としている。地元の造園業者らが8日、重機やスコップで報道陣がチャーターしたタクシー2台と毎日新聞の取材車両1台を掘り出し、水洗いしたと報道されている。

普賢岳火砕流に関しては、小欄で何度も書いた。私もこの年の9月某日だったと記憶しているのですが、島原ライオンズクラブへ『落ち込んでいる小学生20人ぐらいを、第5回高松冬のまつりへ招待したい』と掛け合いに行ったのでした。当時の鐘ヶ江管一元島原市長も、島原ライオンズクラブのメンバでした。そして12月21日、高松中央公園の石のステージでは、島原第四小学校から子ども23人と島原ライオンズクラブメンバー8人が、スポットライトを浴びていました。

島原普賢岳の報道を見ると、いつもこの1991年、今から30年前になりますが、島原ライオンズクラブとの共同アクティビティーが脳裏をよぎります。私が島原を訪問した時でも、小規模噴火は続いていて、クラブ幹事の藤井四郎さんは4輪駆動の車に各種無線を4波ほど積んでいました。自衛隊から消防、警察から対策本部の周波数帯まで、私もアマチュア無線をやっていましたから、電波は少しばかりわかりました。

異常があれば直ぐに逃げ出すと言いながら、噴火口近くまで警戒線を超えて近づいていました。藤井氏は、特別許可書を携帯していた。またその5年後の『高松砂漠』と呼ばれた『大渇水』時、島原から散水車が二人のクラブメンバーによって高松へ運ばれてきました。1~2ヶ月間、管理マンション等へ市給水ポイントから『善意の水』を運びました。そして長男賢士を連れて、島原まで散水車を返しに行きました。

高松栗林ライオンズクラブと島原ライオンズクラブは、この後も友好姉妹クラブとして、互いの周年記念式典に行き来しています。私にとって『クラブ幹事』として右も左も分からなかった39歳の頃で、貴重な経験をさせてくれた一つが雲仙普賢岳でした。『島原ライオンズクラブ』と、1987(昭和62)年から30年間続いた『高松冬のまつり』にも大感謝です。


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| 社長日記 | 09:05 AM | comments (0) | trackback (0) |
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