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坂出市与島沖で修学旅行中の小型船が沈没62人全員無事救助
11月19日午後4時40分頃といえば、辺りが暗くなる少し前。坂出市の与島沖を航行していた高松市の高松海上タクシー所有の小型船(19トン)の船長から、「漂流物に衝突して船が浸水している」と118番通報があった。船には修学旅行中の坂出市川津小学校の6年生52人を含む計62人が乗っていたが、漁船や海上保安庁の巡視船などが同5時50分頃までに全員救助した。船はその後沈没した。

高松市の海上タクシーと言えば、『たこたこ観光タクシー(チャーター船)』だと思います。私も団体(瀬戸内国際芸術祭2019)で、定期便の利用が不便なところへのチャーター利用に乗っかったことがあります。便利ではありますが、このような危険もはらんでいるのですね。便利と危険は、隣り合わせのようです。

修学旅行中の船の事故といえば、瀬戸内海高松沖での紫雲丸事故が思いだされる。紫雲丸事故(しうんまるじこ)は、日本国有鉄道(国鉄)の宇高連絡船紫雲丸が何度かの事故の後、その中でも最大の被害を出した1955年(昭和30年)5月11日の5回目の事故を指す場合が多い。

5度目の事故が社会に与えた影響は特に大きく、国鉄による鉄道連絡船の安全基準が大幅に見直されたり、海上保安部による停船勧告基準が厳しくなるなどされ、またその後の瀬戸大橋建設の機運を一気に高めた。船の名前は、高松市にある「紫雲山」に因んでいる。

1955年(昭和30年)5月11日午前6時56分、上り第8便で運航中、同じ宇高連絡船・下り153便大型貨車運航船「第三宇高丸」と衝突して沈没。最大の被害を出した事故であり、国鉄戦後五大事故の1つでもある。「紫雲丸事故」といった場合はこの事故を指すことが多い。修学旅行中の、広島県豊田郡木江町立南小学校(現・豊田郡大崎上島町立木江小学校)や四国内の児童など計死者168名を出した。

紫雲丸は濃霧が原因で起きた事故といわれているが、19日の事故の原因はまだ分かっていない。現場は瀬戸大橋の下で、岩黒島と与島の間。高松市教員委員会などによると、浸水後に男性船長 (45)が児童らに、救命胴衣を着けて海に飛び込むよう指示した。海保の巡視艇が現場に到着した際、多くは海の中にいて、児童数十人ら他の乗員は屋根部分に残っていた。

現場に急行し、救助活動を行ったのは異変に気づいた漁業者ら。児童の冷静な行動と、魚業者らの甚作な対応が全員無事の救出劇につながった。私も過去に、高松港から小豆島行きのフェリーから飛び込んだ女性を目撃したことがあった。船はその場に停船して彼女を救助しようとするが、高低差からなかなか思うように進まない。

その瞬間どこからか漁船が来て、あっという間に漁師が女性をすくい上げてそのまま走り去った。落ちてから10分位の救出劇で、小豆島へ上陸してから暫くして『無事』が報告された。大きな拍手がわき起こった。内心ダメかなと思っていました。岩黒島で養殖魚の餌やりの準備をしていた岩中優次(52)さんは、漁師仲間の中村竜也(40)さんと一緒に自船に乗り込んだ。二人は「絶対に助ける」と心に決めて、救助あたったという。

思いが結果を作るのですね。まず出来ると思わなければ、成功はしない。瀬戸大橋の橋脚の一つ岩黒島の民宿では、過去に宴会もしたし、町内20人弱で昼飯も行った。また私はここの釣り堀『竜宮城』で、ハマチを釣らして貰いました。常連客と行った初めての私に、漁師の皆さんはエサをまき、長く釣り堀にいた「巨大ハマチ」を私にくれた。釣ったのではなくて、釣らせて頂いた。その人たちが、児童を救ってくれた。お礼の意味でも、『竜宮城』に行かねばなるまい。


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| 社長日記 | 09:13 AM | comments (0) | trackback (0) |
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