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そもそも日本学術会議とは
テレビでは、アメリカ大統領選の話題で持ちきりだ。こちらは4年に一度の『ビッグイベント』で、当然と言えばその通りだが、日本の国会の『予算委員会』では日本学術会議の話題だけ。確かに野党議員団とすれば、『政府のエラー』か『ダブルプレー』で菅内閣を追い込むゲートとして徹底追求の構えであります。6人が何で否決されたか、それは政府の方針に反したからだという答えは、われわれでも想像できる。

それが言えないから、菅内閣の答弁は歯切れが悪いと言わざるを得ない。そもそも日本学術会議とは、どのような組織なのか。ここに産経新聞ワシントン駐在客員特派員・古森義久氏の、『日本学術会議にGHQの影』という書き物があります。令和2年10月25日『産経ニュース【アメリカノート古森義久】』に掲載された文章です。私も知らなかったモノで、紹介させて頂きます。

日本学術会議をめぐる議論に関心を向けていたら、日本国憲法を起草したチャールズ・ケーディス氏の言葉を思い出した。ケーディス氏といえば、日本を占領した米軍主体の連合国軍総司令部(GHQ)幹部の米陸軍大佐であり、日本国憲法の草案作成の実務責任者となった法律家だった。私(古森義久氏)は1980年代、ニューヨークで同氏に長時間インタビューして、日本国憲法作りの実情を詳しく聞いた。

「最大の目的は日本を永久に非武装にしておくことでした」

ケーディス氏は日本国憲法の究極の目的についての私の問いに、ためらわずに答えた。日本をもう二度と軍事的脅威にさせないために、たとえ自国防衛という独立国家の基本的権利を抑えてでも非武装を押しつけることがGHQの意図だというのだった。日本学術会議は、このGHQの占領下で、GHQの思惑で設置された組織であります。

設置は、GHQ作成の憲法が施行された2年後の1949(昭和24)年だった。そしてその翌年、軍事関連の科学的研究に一切、かかわらないという声明を出した。ケーディス氏が明らかにした、GHQの当時の非武装の意向とぴったり合致している。当時の占領軍は、独立後の日本を国家らしくない国、本来の伝統や文化を弱める国にすることを明らかに狙っていた。

だからそんな占領下で日本学術会議が、日本の元号の廃止を公式に決議したことも偶然ではないだろう。同会議が軍事研究否定の声明発表直後の1950(昭和25)年5月に、民主自由党(55年体制前だから自民党ではない)の吉田茂首相あてに、「天皇統治を端的にあらわした元号は民主国家にふさわしくない」としてその廃止を申し入れたことは、今ではあまり広く知られていないようだ。

「新憲法の下に天皇主権から人民主権にかわり、日本が新しく民主国家として発足した現在では元号の維持は意味がなく、民主国家の観念にもふさわしくない」。私(松野誠寛)はこれを読んで、日本学術会議は左派の巣窟かと思いました。

『国民』ではなく敢えて『人民』という用語を使う日本学術会議の過激な政治性は、過去の話としては済まされない。同じ時期に決めた軍事研究否定の声明はその後も更新され、現在も承継されているのだろう。日本学術会議のあり方の議論では、この組織の特殊な出自や政治活動歴の検証も欠かせないだろう。

しかし日本学術会議が当初、追従した米国当局がその後間もなく、朝鮮動乱や米ソ冷戦などから日本の軍事や防衛への政策をがらりと変えてしまったことは歴史の皮肉だといえようか。いずれにしても、菅義偉内閣総理大臣が言わんとしている『日本学術会議のあり方』は、政府予算10億円も費やしている公務員の集団として、一考を要するモノだと私は素直にそう思います。


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| 社長日記 | 10:11 AM | comments (0) | trackback (0) |
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