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裏切られた自由上下byハーバート・フーバー
「フーバー大統領が語る第二次世界大戦の隠された歴史とその後遺症」と副題のついた、アメリカ合衆国第31代フーバー大統領(1929年~1933年)の、70年間の沈黙を破り、ついに世に出た本であります。先にアメリカ合衆国で、そして2017年に渡辺惣樹氏によって翻訳出版されたものです。写真でも想像がつくと思いますが、上巻700頁、下巻580頁の超大作。





ざっくり解説すると、フーバー大統領は第31代大統領で、共和党員です。その後の第2次世界大戦中のアメリカ大統領は、第32代大統領フランクリン・ルーズベルトで民主党員です。一般的に、次の大統領のすることは、元職として面白いわけがありません。そのような傾向を否定はしませんが、この本はそのような側面を超越した公的資料に基づいていて、読んだ感じでは客観的な分析がなされていると思いました。

歴史小説ではなく、歴史記録集の感じがします。要するにフーバー元大統領は、日米間の太平洋戦争は避けられたのでないか、もう一歩踏み込んで表現したら、太平洋戦争は「アメリカが仕掛けた戦争」ではなかったかと、読む人に問いかける内容になっています。非常に丁寧に資料を集め、コツコツと理論を構築しています。

まず上巻を拾い読みすると、(フーバーの台詞として)本書は1941年以前の対日関係を詳しく記すことを目的としていない。しかし、わが国が戦争に突入することになった直接の原因が日本である以上、真珠湾攻撃に至るまでの経緯を書かないわけにはいかない。アメリカ政府は、(対日交渉の経緯を)国民に隠していた。そしてその後の教育でも、何があったか歴史の真実を教えていない。だからこそ、対日交渉の経緯ははっきりと書いておかなければならない。上巻471頁

当時(1941年)の日本は、近衛文麿公(首相)に指導されていた。近衛首相は、緊張緩和を何とか実現したいと考えていた。特に、英米との関係改善を図りたかった。日本から関係改善を求める公式提案があったのは1941年5月のことである。その提案は、野村吉三郎提督によってもたらされた。彼はきわめて親米的な人物であり、近衛によって駐米大使に任命されていた。

しかし、野村吉三郎提督の交渉の成果はことごとく東京の松岡洋右外務大臣の妨害にあった。松岡は、反米感情を持っていた。1941年7月18日、近衛は新内閣を組織した。松岡に代えて、豊田貞次郎提督を外務大臣に据えた。日本の状況は、侵略行為をやめ、中国に自由を回復させるのに好都合な環境に変化していたのである。

1940年9月、グレー駐日大使は対日禁輸政策を実行すべき時期に至ったと伝えていたが、1941年に入ってから日本との関係改善は可能であり、経済制裁はむしろ危険であると訴えていた。グレー大使の意見がありながら、1941年7月25日、ルーズベルトは日本からの提案を一顧だにせず、日本に対する経済制裁を突然強化したのだ。

日本向け輸出及び、日本からの輸入をすべて政府の管理下に置いた。さらに、米国における日本の資産を凍結した。これに、イギリスとオランダが続いた。8月4日、近衛首相は陸海軍大臣と協議し、ルーズベルト大統領との直接会談の道を探ると発表した。引き続き和平の条件を探るという決定は海軍の支持を得、陸軍も同意していた。天皇は、出来るだけ早く大統領との会見に臨むよう指示した。

このような記述が続くのだが、私なりに集約すれば、フランクリン・ルーズベルト大統領は日本に開戦の戦端を開くように仕向け、そのことを議会へは勿論、国民へも公表することがなかった。それがフーバー大統領の著書のタイトル、「裏切られた自由」となったように私は思います。

上巻の最後として、515ページに書かれている「第41章日本を刺激する方法 その四:真珠湾攻撃」から。グレー駐日大使は何度も注意を促していた。日本は、アメリカの言うとおりの国になるか、飢えて死んでしまうかの選択を迫られれば、自殺行為(hara-kiri)になることがわかっていながら戦うことを選ぶ可能性がある。(この警告通り)日本は、12月7日に真珠湾を攻撃した。

下巻の第2部は、戦前戦後のヨーロッパの情勢が中心で構成されている。そもそも日米決戦について書かれた本ではないから、当然と言えば至極当然である。ヤルタ会談(1945年2月4日~11日)、トルーマン政権の始まり、ポツダム会談とその後等が書かれている。当然のことながら私は、日米開戦の経緯が一番の関心事でありました。

それがアメリカ側の文章で、それも多くの議会報告書・委員会議事録、当事者の証言などを交えて、あくまでも「客観的に(フーバー元大統領のことば)」まとめられた名著であると思います。読むだけでも長い時間を要し、小欄で紹介するのにも書いては止めて、また書いて、これまでの会長日記17年で経験したことのない体験をさせて頂きました。


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| 社長日記 | 09:37 AM | comments (0) | trackback (0) |
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